sarorunの気ままなぶらり旅

旅先での自然、遺跡、グルメについて気ままに呟きます

古事記「国生み神話」の世界から今日まで繋がる、国境の島々・対馬・壱岐の旅(4)

日本と大陸の中間に位置することから、これらを結ぶ海上交通の要衝として交易・交流の拠点であった対馬壱岐

対馬壱岐は、古事記「国生み神話」で、本州、四国、九州を含む日本の大きな8つの島「大八島国」(おおやしまぐに)の中のそれぞれ「津島」「伊伎島」として描かれ、「本州」や「佐渡」よりも先に誕生したとされています。そんな太古の古事記の世界から今日まで繋がる、島々の文化や歴史をたどる旅を楽しんできました。

旅の前半は、対馬。①万松院(対馬藩主宗家菩提寺)、②上見坂公園(標高358mの展望台)、③椎根の石屋根(県指定有形文化財)、④小茂田浜神社(元寇ゆかりの神社)、⑤海神神社(対馬国一の宮)、⑥和多都美神社(海中にそびえる鳥居が美しい)、⑦烏帽子岳展望台(360度をぐるりと見渡せる)の順に観光しました。(地図提供元:Re島プロジェクト)

今回は、海幸彦・山幸彦神話の時代を偲ばせ、竜宮伝説の残るパワースポット⑥和多都美神社の見学です。

和多都美神社

対馬の中央に広がる浅茅湾北西岸の最奥部に佇む海宮。海神である豊玉彦尊(トヨタマヒコノミコト)がこの地に海宮(わたつみのみや)と名付けた宮殿を作ったことが始まりとされ、彦火々出見尊(ヒコホホデミノミコト=山幸彦)と、豊玉彦尊の娘・豊玉姫命(トヨタマヒメノミコト)の夫婦神が祀られている。

豊玉姫命彦火火出見尊(山幸彦)の出会いに由来する「玉の井」の絵。

(海幸彦・山幸彦神話)

海幸彦は海の漁、山幸彦は山の猟を司る、神聖な威力をもつ兄弟神だが、あるとき兄弟はその漁具猟具を交換し猟場を違えて出かけた。ところが弟山幸彦は兄海幸彦の大切にしていた釣針を失ってしまった。困り果てた山幸彦が海辺で泣いていると塩土老翁があらわれ、目無籠を作って山幸彦を乗せ、海神の宮へ行くように教えた。

山幸彦は海神の宮で出会った海神の娘・豊玉姫命(トヨタマヒメノミコト)と恋に落ち結婚するが、見つけた釣針を兄に返すため三年後に帰還する。豊玉姫命は天神の子を宿したことを知り、海辺の渚に鵜の羽を茅葺きの材料として産屋を作り、出産する。山幸彦は禁止されていたにもかかわらず産屋を覗き見ると、豊玉姫命は鰐(ワニ)の姿となっていた。姿を見られたことを恥じた豊玉姫命鵜葺草葺不合命(ウガヤフキアエズノミコト=初代天皇である神武天皇の父)を出産後、海神の国との境界を閉じて海神の宮へ帰ってしまう。

多都美神社の「和多都美」とは海神(わたつみ)のこと。本殿正面に海、裏手には森という配置で、秋の大潮時には、社殿の近くまで海水が満ち、その様は竜宮を連想させる。海神にまつわる玉の井伝説の遺跡跡や満珠瀬、干珠瀬、磯良恵比須などの旧跡も多い。また、本殿の横には、磐座(いわくら:神がご降臨される巨石)や豊玉姫命の墳墓とされる史跡が残る。

和多都美神社には真珠にちなむ伝承があり、「真珠の浜」から、汐満珠、汐干珠の神宝を産したと言い伝えている。

「太田浜」辺りでバスから降りる。太田浜には海中に二つの岩礁があり、左の瀬を「満珠瀬」、右の瀬を「干珠瀬」という。

玉の井

先ずは太田浜近くにある「玉の井」を見学する。玉の井は、豊玉姫命と山幸彦が出会ったとされる場所。年季の入った石の鳥居の扁額に「和多都美神社」とある。

鳥居の正面奥に、ひっそりと「玉の井」が残されている。今でも遠い昔の神話の時代を彷彿させるような神秘的な場所だ。

今でも湧水が出ているという。

玉の井」を見学した後は、「満珠瀬」辺りを歩く。一ノ鳥居が見えてきた。

「満珠瀬」から振り返った「干珠瀬」の風景。

和多都美神社の鳥居の位置関係

一ノ鳥居から五ノ鳥居まで、本殿に向かって一直線上に配置されている。

一ノ鳥居

一ノ鳥居は、本殿から250メートルほど離れた場所にあり最も海側にある。一昨年の台風被害により倒壊したが、昨年再建された模様。

太陽の陽射しを浴びて、神々しく佇んでいる。高さ約4.2メートル、幅3.5メートルで、素材は御影石。鳥居の周りの海水の透明度も驚くほど高い。

一ノ鳥居の辺りから本殿を見守るように、豊玉姫の像も建っている。

ニノ鳥居

ニノ鳥居も同様、太陽の陽射しを浴びて神々しく、神秘的。午前11時頃だが、天気にも恵まれ、この様な貴重な景色を撮影できたことに感謝!

「満珠瀬」から見た一ノ鳥居とニノ鳥居。

三ノ鳥居

三ノ鳥居からは海中ではなく、陸地にある。

ここから玉砂利の参道も形成されている。

三ノ鳥居からの眺め。一ノ鳥居から三ノ鳥居まで一直線上にあるのが分かる。

「平成16年9月吉日」とある。この時期に再建されたのだろう。

横から見ると、鳥居は等間隔ではなく、ニノ鳥居と三ノ鳥居の間隔が結構ある。

磯良恵比寿(三柱鳥居)

三ノ鳥居と四ノ鳥居の間にある三本柱の鳥居。以前、京都・太秦(うずまさ)にある神社の三本柱の鳥居をテレビで見たことがあるが、渡来系氏族の秦(はた)氏に関連したものだったと思う。

こちらの鳥居は「磯良恵比須」という岩が祀られている。「磯良」は民間伝承では豊玉姫命の子であると伝わり、また鵜茅葺不合尊(ウガヤフキアエズノミコト=初代天皇である神武天皇の父)の別名といういわれもある。

この岩には、鱗状の亀裂がはっきりと見える。説明板によれば、「磯良の墓とした伝説があるが、古い祭祀における霊座か、御神体石だったのではないかと思われる」とある。

四ノ鳥居

四ノ鳥居からは「三ノ鳥居」と三柱鳥居の「磯良恵比寿」が見える。秋の大潮の頃この辺りまで海面が上昇すれば、「海神」を祭るに相応しい雰囲気になるのだろう。

前方には、五ノ鳥居が見え、社殿は直ぐそこ。

五ノ鳥居

社殿前の最後の鳥居。鳥居もかなり古い。社殿は、城壁のような壁に囲われている。

振り返って見ると、一ノ鳥居から五ノ鳥居まで一直線上に配置されている。

亀甲岩(三柱鳥居)

社殿横には、もう一つの三柱鳥居がある。こちらの鳥居には、亀の形をした「亀甲石」が祀られており、かつて亀卜(きぼく:亀の甲を焼き、そのひび割れの入り方で吉凶を占う卜占術)を行なっていた場所と伝えられている。

社殿の左側には、本殿から龍が這い出してきたような形の巨木の根が地を這っている。

本殿

神明造りの本殿。その手前に2つの摂社。

緑に囲まれる本殿。本殿奥には遊歩道も整備されている。

豊玉姫之墳墓

本殿の横には、磐座(いわくら:神がご降臨される巨石)があり、豊玉姫命の墳墓とされる史跡が残る。

豊玉姫之墳墓」は、和多都美神社最強パワースポットとされている。

遊歩道

本殿の裏手の遊歩道では、緑豊かな原生林が林立し、森林浴が存分に楽しめる。

遠く神話の時代を偲ばせる神秘的な雰囲気を漂わせている。

遊歩道に沿って行くと、社殿前にある五ノ鳥居に出る。

次回は、烏帽子岳展望台から浅茅湾(あそうわん)を眺望し、昼食後、フェリーで壱岐へと向かいます(続く)。