sarorunの気ままなぶらり旅

旅先での自然、遺跡、グルメについて気ままに呟きます

古事記「国生み神話」の世界から今日まで繋がる、国境の島々・対馬・壱岐の旅(3)

日本と大陸の中間に位置することから、これらを結ぶ海上交通の要衝として交易・交流の拠点であった対馬壱岐

対馬壱岐は、古事記「国生み神話」で、本州、四国、九州を含む日本の大きな8つの島「大八島国」(おおやしまぐに)の中のそれぞれ「津島」「伊伎島」として描かれ、「本州」や「佐渡」よりも先に誕生したとされています。そんな太古の古事記の世界から今日まで繋がる、島々の文化や歴史をたどる旅を楽しんできました。

旅の前半は、対馬。①万松院(対馬藩主宗家菩提寺)、②上見坂公園(標高358mの展望台)、③椎根の石屋根(県指定有形文化財)、④小茂田浜神社(元寇ゆかりの神社)、⑤海神神社(対馬国一の宮)、⑥和多都美神社(海中にそびえる鳥居が美しい)、⑦烏帽子岳展望台(360度をぐるりと見渡せる)の順に観光しました。(地図提供元:Re島プロジェクト)

今回は、ツアー2日目に入り、朝食後、対馬唯一の一の宮として崇敬されている⑤海神神社の見学です。

ホテル対馬

対馬での宿泊先は、ホテル対馬。ビジネスホテルの様に部屋は手狭で、建物や設備は年季が入っているが、

バスターミナルのある「観光情報館ふれあい処つしま」やショッピングセンター、コンビニが徒歩圏内でとても便利なロケーション。

和定食の朝食。予めサラダ、ミートボール、鯖、玉子焼き、納豆、明太子、冷奴等がお盆に盛られている。観光を重視したツアーの宿泊先なのであまり期待していなかったが、ありきたりのバイキングではなく、それほど悪くもない。

朝食後は、バス出発時刻まで近場を散策。

近くを流れる「厳原本川」。

川沿いに並ぶしだれ柳や、石造りの橋。。。以前に立ち寄った「城崎温泉」の雰囲気に似ている。

城崎温泉のブログ👇

近くのコンビニに入って、対馬土産の「かすまき」(こし餡をカステラ風の生地で巻いた銘菓)を戴く。モーニングコーヒーのお供にぴったり(笑)。

韓国に近いため、案内にはハングル語も見かける。

アーバスに乗り、海神神社へと向かう。対馬は海幸彦・山幸彦神話の発祥地ともいわれ、日本の建国神話にもかかわっている。

(海幸彦・山幸彦神話)

海幸彦(火照命)は海の漁、山幸彦(火遠理命)は山の猟を司る、神聖な威力をもつ兄弟神だが、あるとき兄弟はその漁具猟具を交換し猟場を違えて出かけた。ところが弟山幸彦は兄海幸彦の大切にしていた釣針を失ってしまった。困り果てた山幸彦が海辺で泣いていると塩土老翁があらわれ、目無籠を作って山幸彦を乗せ、海神の宮へ行くように教えた。

山幸彦は海神の宮で出会った海神の娘・豊玉姫命(トヨタマヒメノミコト)と恋に落ち結婚するが、見つけた釣針を兄に返すため三年後に帰還する。豊玉姫命は天神の子を宿したことを知り、海辺の渚に鵜の羽を茅葺きの材料として産屋を作り、出産する。山幸彦は禁止されていたにもかかわらず産屋を覗き見ると、豊玉姫命は鰐(ワニ)の姿となっていた。姿を見られたことを恥じた豊玉姫命鵜葺草葺不合命(ウガヤフキアエズノミコト)を出産後、海神の国との境界を閉じて海神の宮へ帰ってしまう。

海神神社

海神神社(かいじんじんじゃ)は、上対馬の西側、伊豆(木坂)山の麓に鎮座し、豊玉姫命(トヨタマヒメノミコト)を主祭神とし、夫の火遠理命(ホオリノミコト=山幸彦)、息子の鵜葺草葺不合命(ウガヤフキアエズノミコト=初代天皇神武天皇の父)、海の女神である宗像三神らを配祀する。

鳥居右脇には「國幣中社海神神社」との社号標があり、明治4年(1871年)に旧社格の國幣中社に列格した。創祀年代は不詳だが、対馬唯一の一の宮として崇敬されている。

社伝によれば、神功皇后三韓討伐からの帰途、新羅を鎮めた証として8本の旗を納めたことが起源とされる。旗は後に現在地の木坂山に移され「木坂八幡宮」と称されていた。中世には、現在の厳原八幡宮(下津八幡宮)に対して「上津八幡宮」、「八幡本宮」とも呼ばれていたが、明治4年主祭神を「八幡神」から「豊玉姫命」に変更し、社号も「海神神社」に改めた。何やら、複雑な歴史的経緯があるようだ。

周辺の木坂山(伊豆山)は、神域として一切斧を入れない原生林のまま保存され、県指定天然記念物の「野鳥の森」となっている。

伊豆山の「伊豆」とはイツ(稜威、厳)の意で、心霊を斎き祀ることを意味している。

鬱蒼とした杜の中に、参道鳥居(ニの鳥居)が見えてくる。

原生林の中の参道を歩いていると、「神域」内を通過しているようで厳かな気分になる。

社殿へと続く、長い石段。参道鳥居から社殿まで約300段あるらしい。途中に「ヤマガラの道」という散策路が分岐している。

石段を登ると踊り場のような平らな所があり、最後の鳥居(三の鳥居)がある。

この鳥居の扁額を拡大してみると、不思議な事に、一番上の文字が「海神神社」の「海」ではなく、「毎」の下に「水」と記されているように見える。「水」の部分を「氵」(さんずい)と見なせば、海と同意になるのかもしれない。

振り返ると、木々の隙間から、海が広がっているのが見える。

社殿まであと少し。更に石段を登っていく。

石段を上りきると社殿のある境内で、正面には大きな拝殿がある。

拝殿の後方には、立派な本殿がある。『對州神社誌』には、海神神社は「八幡宮」と記され、明治までは「八幡宮」と称していた。一説には、継体天皇の御代、祭殿を建て八幡宮と称したとされ、我が国八幡宮の発祥の地とも言われている。

境内には、更に摂社・末社が17座あるとされる。

海神神社は、一切斧を入れずに原生林のまま保存されてきた周辺の木坂山(伊豆山)の中に広大な境内があるため、神社に祀られてい多数の神様だけでなく、神域としての木坂山からもパワーをもらえた気がする。

次回は、海幸彦・山幸彦神話や竜宮伝説を正に体感できる「和多都美神社」の見学です(続く)。