sarorunの気ままなぶらり旅

旅先での自然、遺跡、グルメについて気ままに呟きます

海外旅行回想録1990-91年〜パキスタン編(7)

1990年の年末から1991年の年始にかけてパキスタンを旅行しました。

 旅の概要ですが、①モヘンジョ=ダロ遺跡、②カラチ、③ハラッパー遺跡、④ラホール、⑤ペシャワール、⑥スワット地方、⑦タキシラ、⑧イスラマバードの順に回りました。

第7回目は、ガンダーラ最大の都市遺跡タキシラ観光です。

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 [8日目]

 この日は、スワット・セレナホテルで朝食後、イスラマバードまで250kmを超えるバス長距離移動です。最初に、昨日見学したタフティ・バーイ遺跡近くまで一旦戻ってから、タキシラ遺跡へと向かいます。

ラカンド峠

f:id:YOSHI88:20201208130420j:plain途中、マラカンド峠を通過する。

f:id:YOSHI88:20201208130447j:plainこのラカンド峠は、かつて玄奘三蔵や多くの仏教僧も超えたと言われ、遠い昔に想いを馳せる。

f:id:YOSHI88:20201208130610j:plainサカコートの町でひとまず休憩後、昨日見学したタフティ・バーイ遺跡近くにある、インダス川とカブール川の合流スポットへと向かう。

インダス川・カブール川合流点

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f:id:YOSHI88:20201208130843j:plainアフガニスタン中央東部のパグマン山地に発し首都カブールを通過しているカブール川は、ここでハラッパやモヘンジョ=ダロの文明の発生源となったインダス川へと合流している。

ハッサン・アブダル

f:id:YOSHI88:20201208131005j:plainタキシラ遺跡観光前に、近くのハッサン・アブダルで昼食。

f:id:YOSHI88:20201208131035j:plain近くにある郵便局。ここでもアーチ状の窓。

f:id:YOSHI88:20201208131201j:plainバザールも散策。

f:id:YOSHI88:20201208131133j:plainターバンを巻いたイスラム人でごった返している。


タキシラ

午後、タキシラ見学。見どころは、駅近くにある博物館と、郊外に点在する遺跡群(山岳仏教遺跡のジョーリヤーン、都市遺跡のシルカップ等)。

タキシラ博物館

f:id:YOSHI88:20201208131254j:plain先ずは博物館を見学。ガンダーラの展示としてはペシャワール博物館に次いでしっかり展示されている。 

f:id:YOSHI88:20201208131332j:plain有名な「頭部だけの仏像」。

ジョーリヤーン遺跡

f:id:YOSHI88:20201208131652j:plain タキシラ博物館から車で約15分、タキシラの町を一望できる丘の上にある山岳仏教遺跡。僧侶の暮らした僧院区と、主ストゥーパ(仏塔)と奉献ストゥーパのある塔院区がある。

f:id:YOSHI88:20201208132239j:plain塔院区にあるストゥーパf:id:YOSHI88:20201208131938j:plainストゥーパの各壇にはストゥッコ(化粧漆喰)の装飾が美しく残っている。 

f:id:YOSHI88:20201208132028j:plainストゥーパに彫られた細やかな像。西洋人のようだが、ヘレニズム文化の影響を受けたガンダーラ美術らしい。

f:id:YOSHI88:20201208132053j:plain頭部の欠けた坐仏像。

f:id:YOSHI88:20201208132348j:plain外からの眺望。タキシラの町を一望できる。立っているのは管理人か?

f:id:YOSHI88:20201208132851j:plain僧侶の暮らした僧院区。中庭を囲み僧房が並んでいる。

f:id:YOSHI88:20201208132946j:plain浴室。

f:id:YOSHI88:20201208133016j:plain集会所。

f:id:YOSHI88:20201208133052j:plain貯蔵庫。

f:id:YOSHI88:20201208133217j:plain給仕室。

f:id:YOSHI88:20201208133126j:plain台所。遠くから眺めると、幾何学模様のようにも見える。

f:id:YOSHI88:20201208133150j:plain大きさの異なる石が上手く組み合わされている。


シルカップ遺跡

f:id:YOSHI88:20201208133430j:plainタキシラ博物館の直ぐそばにある都市遺跡。紀元前2世紀にギリシャ人が侵入して建設された。町はギリシャの都市計画に基づいて碁盤の目のような街づくりになっている。 

f:id:YOSHI88:20201208133409j:plainメインストリート。かつてこの道に沿って商店が多数並んでいたそうだ。

f:id:YOSHI88:20201208133454j:plain右下にある四角い穴は通気孔?排水孔?

f:id:YOSHI88:20201208134047j:plain整然とした街区が続く。

f:id:YOSHI88:20201208133807j:plainメイン・ストリートを進むと、この先、仏教寺院の跡等が残っている。

f:id:YOSHI88:20201208134111j:plain大きな円形状のスペース。

f:id:YOSHI88:20201208134133j:plain保存状態の良いストゥーパ。土台が無く、地面に直接設置されている。

f:id:YOSHI88:20201211144608j:plain最も有名な「双頭の鷲」のストゥーパ

f:id:YOSHI88:20201208134344j:plain階段の右側にある装飾。左側にイラン風アーチ、右側にインドの塔門が描かれ、これらがコリント式柱で区切られている。また、左側のイラン風アーチ上には「双頭の鷲」が飾られている。

f:id:YOSHI88:20201208134405j:plain階段左側にある装飾。右側に比べて損傷度が激しいが、右側と同じ装飾に見える。


ラーワルピンディー

夕刻、イスラマバード着。隣町にあるラーワルピンディーのパール  コンティネンタル・ホテルへ。

f:id:YOSHI88:20201208134539j:plainプールのあるラーワルピンディー随一の高級ホテル。プールの水面にイルミネーションが映っている。

f:id:YOSHI88:20201208134600j:plainパキスタン最後の夜。

f:id:YOSHI88:20201209095730j:plain伝統楽器を使った演奏が彩りを添える。

翌日の午前中はフリータイムなので、食事後は添乗員の部屋で夜更けまで宴会。

最終日は、イスラマバード市内観光です(続く)。 

海外旅行回想録1990-91年〜パキスタン編(6)

1990年の年末から1991年の年始にかけてパキスタンを旅行しました。

 旅の概要ですが、①モヘンジョ=ダロ遺跡、②パキスタン経済の中心地カラチ、③ハラッパー遺跡、④カラチに次ぐパキスタン第2の都市ラホール、⑤アフガニスタンとの国境付近のペシャワール、⑥ガンダーラ遺跡の点在するスワット地方、⑦ガンダーラ王国時代に栄えた仏教遺跡タキシラ、⑧パキスタンの首都イスラマバードの順に回りました。

第6回目は、ペシャワールから、ガンダーラの故郷スワット地方の中心ミンゴーラまで約180km、バスで移動の長旅です。途中に点在するガンダーラ遺跡に立ち寄ります。

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 [7日目]

ペシャワールのパール  コンティネンタルホテルで朝食後、先ずは、近くにあるタフティ・バイ遺跡へと向かう。 

f:id:YOSHI88:20201202125205j:plain 途中、カバル川を横切る。


タフティ・バーイ遺跡

f:id:YOSHI88:20201202125527j:plainペシャワールの北西80kmにあるガンダーラ遺跡で、1世紀から7世紀にかけて山の上に建造された山岳仏教寺院。

f:id:YOSHI88:20201202125545j:plainマチュピチュのような山の斜面を利用した空中都市のようにも見える。

f:id:YOSHI88:20201202125604j:plain中院区。僧侶の居住区だった北側の僧院区と、メイン・ストゥーパのある南側の主塔院区との間に位置している。

f:id:YOSHI88:20201203095904j:plain中院区にある奉献(小)ストゥーパ

f:id:YOSHI88:20201204093944j:plain主塔院区。階段を上がった広場(自分の座っている場所)には、かつてメイン・ストゥーパが有った。

f:id:YOSHI88:20201204094007j:plain写真右側の一番下にあるのが中院区。その上にあるのが僧院区。自分の足元に見えるのがテラスで、その下に地下室があり瞑想のための部屋と考えられている。

f:id:YOSHI88:20201202125804j:plain山頂から見た遺跡遠景。

f:id:YOSHI88:20201202125955j:plain角度を変えて見た遺跡遠景。

f:id:YOSHI88:20201202130109j:plain麓で、現地の大勢の子供達と遭遇。

f:id:YOSHI88:20201202130203j:plain昼食は、定番のダール・カレーとナン。

f:id:YOSHI88:20201202130427j:plain食事後、ペシャワール盆地に流れ込むスワート川に沿って北上し、ガンダーラ遺跡の点在するミンゴーラを目指す。

f:id:YOSHI88:20201202130445j:plainどこか懐かしさを覚える風景が続く。


シャンカルダールストゥーパ

f:id:YOSHI88:20201202130555j:plainミンゴラ近郊にある高さ27.5m、直径13mのストゥーパ。3〜4世紀頃の建立時には、黄金に輝いていたという。「大唐西域記」に上軍王塔と記載されている。

f:id:YOSHI88:20201202130612j:plain周辺には民家があり、生活感が漂っている。

f:id:YOSHI88:20201202130705j:plainここでも、大勢の子供達と遭遇。

f:id:YOSHI88:20201202130720j:plain 何やら、「異邦人」を見つめているようだ(笑)。

ガーリガイの磨崖仏

f:id:YOSHI88:20201202130830j:plain道路脇の崖に、高さ3mほどの坐仏像が彫刻されている。

f:id:YOSHI88:20201203104703j:plain上半身はほとんど崩壊してしまっているが、結跏趺坐している足組と、その上に置かれた両手の形が比較的明瞭に残っている。

f:id:YOSHI88:20201202130847j:plainスワート川に沿って更に北上し、ミンゴーラ中心部へと向かう。緑豊かな土地と山が続く風景に心安らぐ。

ミンゴーラ・バザール

ミンゴーラ市街にあるバザール。

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f:id:YOSHI88:20201202125253j:plain大勢の人と車でごった返している。

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f:id:YOSHI88:20201202125311j:plainどこの店も美味そう。

f:id:YOSHI88:20201202125411j:plainf:id:YOSHI88:20201202125331j:plain 親子連れか?

f:id:YOSHI88:20201202130934j:plain夕刻、ミンゴーラ郊外の官公庁サイドゥ・シャリーフにあるスワット・セレナ・ホテルに到着。

f:id:YOSHI88:20201202130950j:plain翌日は、仏教遺跡タキシラ観光です(続く)。 

海外旅行回想録1990-91年〜パキスタン編(5)

1990年の年末から1991年の年始にかけてパキスタンを旅行しました。

 旅の概要ですが、①モヘンジョ=ダロ遺跡、②パキスタン経済の中心地カラチ、③ハラッパー遺跡、④カラチに次ぐパキスタン第2の都市ラホール、⑤アフガニスタンとの国境付近のペシャワール、⑥ガンダーラ遺跡の点在するスワット地方、⑦ガンダーラ王国時代に栄えた仏教遺跡タキシラ、⑧パキスタンの首都イスラマバードの順に回りました。

第5回目は、ギリシア・オリエント世界とインド世界をつなぐ文明の交差点カイバル峠の麓にある、アフガニスタン国境近くの町ペシャワール観光です。

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 [6日目]

f:id:YOSHI88:20201125124946j:plainペシャワール随一の高級ホテル、パール ・コンティネンタルにで朝食後、ペシャワール市内観光へ。

ペシャワール博物館 

f:id:YOSHI88:20201125193308j:plainビクトリア様式の赤レンガの建物。ガンダーラ美術を中心に、北西辺境州の各民族の衣装や手工芸品等を展示している。

f:id:YOSHI88:20201125220504j:plainガンダーラ美術の最高傑作の一つ「痩せ衰えたシッダールタ」。損傷が激しいが、目が窪み肋骨が浮き出ており、極限まで断食した人体がリアルに表現されている。ラホール博物館で見学した「断食するシッダールタ」(下の写真)よりも痩せ衰えているように見える。

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博物館見学後は、カイバル峠のあるアフガニスタン国境付近へと向かう。

カイバル・チェックポイント

f:id:YOSHI88:20201125220632j:plainアフガニスタンパキスタンの国境近くにあるカイバル峠は、古くはアレキサンダー大王の軍勢がここを通ってインドへ向けて進軍し、7世紀には唐の玄奘三蔵がインド世界へと足を踏み入れた「文明の交差点」。

f:id:YOSHI88:20201126192703j:plainこのカイバル・チェックポイントへは、ペシャワールの市街地から十数km程度でそれ程遠くはないが、カイバル峠まではまだ倍近くもある。

しかし、ここから国境までは、トライバル・エリア=部族地域と呼ばれるパターン族(パシュトゥーン族)の自治区に位置し、外国人の立ち入りは制限されている。カイバル峠を通過するには、カイバル・ポリティカル・エージェントの特別許可が必要となる。

f:id:YOSHI88:20201125220855j:plain 遥か国境付近の町まで、単線の線路が敷設されている。

f:id:YOSHI88:20201126192739j:plainおっと、ここで迂闊にも、カラシニコフ銃を持った護衛兵に捕まってしまう(笑)。

 パターン族(パシュトゥーン族)の家

f:id:YOSHI88:20201125221122j:plainこの辺りは部族地域(自治区域)となり、部族の掟による自治にまかされている。パキスタンの法律は、国道上にしか適用されない。それ以外のところで何が起きても責任は保障されないフリーテリトリー。

f:id:YOSHI88:20201125221225j:plainパターン人(自分達は「パシュトゥーン人」と呼び、パターン人とは呼ばないらしい)の銃の製造は世界的にも有名であり、麻薬の栽培と密売や外国からの密輸製品の取り引きも盛んである。これはみな部族地域を利用して行われている。

f:id:YOSHI88:20201126233956j:plain無法地帯ゆえ、公然とハッシッシー(麻薬)を吸っている。

f:id:YOSHI88:20201125221418j:plainパシュトゥーン人の村。

f:id:YOSHI88:20201125221329j:plain中には、2階建の家も。

f:id:YOSHI88:20201125221353j:plainパキスタンアフガニスタンの二国間の協定により、アフガニスタンの商品はフリーパスで通すことになっている。パシュトゥーン人はこの特権を利用して、一度アフガニスタンに持ち込んだものをパキスタンに逆輸入させて税抜けした品々をペシャワールなどの町に持ち込み、密輸品バザールとして安く売っている。

アフガン難民キャンプ

f:id:YOSHI88:20201125221519j:plainペシャワール市街地へと戻る街道途中、左手にアフガン難民のキャンプ地が見えてくる。

f:id:YOSHI88:20201125221542j:plainアフガニスタン紛争を避けるために、当時アフガニスタンから隣国のパキスタン、特にペシャワール近郊に約300万人の難民が逃れてきたらしい。

ペシャワール大学

f:id:YOSHI88:20201125221653j:plainさらに進むと、左手にペシャワール大学が見える。

f:id:YOSHI88:20201125221718j:plain意外とアカデミック。

キサ・カワーニ  バザール

ペシャワール旧市街にあるバザール。

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一日中いても飽きないような何でも有りのバザールを楽しんだ後は、マハバット・ハーン・モスクへ。

マハバット・ハーン・モスク

f:id:YOSHI88:20201125223009j:plain1630年、ムガール皇帝シャー・ジャハーンの時代に、ペシャワールの領主であったマハバット・ハーンにより建造される。ラホールのバードシャーヒー・モスクの小型版。

キャラバンサライ

f:id:YOSHI88:20201125223044j:plainマハバット・ハーン・モスクの向かい側には、木造3階建のキャラバンサライ跡がある。

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 昔、隊商の人馬に寝床を提供していたキャラバンサライが今では、バザールのように再利用されている。キャラバンサライ跡を見学後は、宿泊先のペシャワール・パール・コンティネンタルへ戻る。

次回は、ガンダーラ遺跡が点在するスワット地方です(続く)。

海外旅行回想録1990-91年〜パキスタン編(4)

1990年の年末から1991年の年始にかけてパキスタンを旅行しました。

 旅の概要ですが、①モヘンジョ=ダロ遺跡、②パキスタン経済の中心地カラチ、③ハラッパー遺跡、④カラチに次ぐパキスタン第2の都市ラホール、⑤アフガニスタンとの国境付近のペシャワール、⑥ガンダーラ遺跡の点在するスワット地方、⑦ガンダーラ王国時代に栄えた仏教遺跡タキシラ、⑧パキスタンの首都イスラマバードの順に回りました。

第4回目は、パキスタンの古都でムガール帝国時代に芸術や文化の中枢を担ったラホールの市内観光です。

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[5日目]

ラホール、ラマダルネサンスホテルで朝食後、専用バスでラホール市内観光へ。

パンジャーブ高等裁判所

f:id:YOSHI88:20201117133137j:plainパンジャーブ州の州都であるラホールにある高等裁判所

ラホール中央郵便局

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高裁の近くにある中央郵便局。

ラホール市役所

f:id:YOSHI88:20201117133303j:plainラホール市役所。高裁と似たビクトリア様式の建物。

ラホール旧市街

f:id:YOSHI88:20201117184918j:plainラホール旧市街の風景。高裁、郵便局、市役所も同じく旧市街にあるが、旧市街というとこちらのイメージ。

パキスタンの塔 

f:id:YOSHI88:20201119114955j:plainラホールのシンボルタワー「パキスタンの塔」。イギリスからインドと分離独立したことを記念したもの。

ハードシャーヒー・モスク

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 世界最大規模を誇るムガール時代のモスクで、ラホールを象徴する最も有名なランドマーク。

f:id:YOSHI88:20201117193430j:plain赤砂岩で造られたモスクと白い大理石のドームとのコントラストが美しい。

f:id:YOSHI88:20201117193546j:plain中央の広場には、約10万人の礼拝者を収容可能。

f:id:YOSHI88:20201117193522j:plain四隅にそびえ立つミナレットは、高さ約60メートルもある。

f:id:YOSHI88:20201117193648j:plainハードシャーヒー・モスク正面。この真向い(写真では真後ろ)には、ラホール城のアラムギリ・ゲートがある。

ラホール城

f:id:YOSHI88:20201117193750j:plainラホール最古の建造物といわれ、ムガール帝国歴代皇帝が建造した巨大な城跡。

アラムギリ・ゲート

f:id:YOSHI88:20201117191454j:plainラホール城のメインゲート(西門)で、ここから内部に入る。

ディワニアーム(謁見所)

f:id:YOSHI88:20201117193829j:plain皇帝が市民の謁見を受けたり、裁判を行なったりした場所。なお、手前にさり気なく2つの大砲が配置されている。市民を威嚇するものでは無いと思うが(笑)、ガイドブックに拠ればイギリス時代のものらしい。

マスティ・ゲート

f:id:YOSHI88:20201120101919j:plain正面に見えるのは、東門(マスティ・ゲート)。

ジャハーンギールの庭園

f:id:YOSHI88:20201117193951j:plain4代皇帝ジャハーンギールの庭園。その奥にあるのがジャハーンギールの寝室(現在は博物館)。

f:id:YOSHI88:20201117194103j:plain寝室からの眺め。

シーシュ・マハル(鏡の宮殿)

f:id:YOSHI88:20201119103024j:plainラホール城の北西角に位置し、17世紀にムガール帝国5代皇帝シャー・ジャハーンが愛妃ムムターズの居間として建てたもの。

ナウラカー

f:id:YOSHI88:20201117194129j:plain大理石でできた小館ナウラカー。「ナウラカー」とは、これを建てた王子を指すのか、建築に使用された準貴石を指すのか、定かでない。

f:id:YOSHI88:20201117194155j:plainナウラカー内部。かつてのムガール帝国の栄光が垣間見える。

f:id:YOSHI88:20201117194230j:plainナウラカー横のベランダ(象の休憩所)から見た眺望。中央に見えるのは、バードシャーヒ・モスク。

裏門

f:id:YOSHI88:20201119105710j:plain殺風景だが堅固な造りの裏門。

シャー・バージ・ゲート

f:id:YOSHI88:20201117194302j:plain裏門近くにある綺麗な門。

f:id:YOSHI88:20201117194331j:plain外壁に美しいタイル装飾がなされている。 

ラホール城見学後は、東方へ約3km離れたシャリマール庭園へ。

f:id:YOSHI88:20201117194402j:plain途中、道路がかなり渋滞している。

f:id:YOSHI88:20201120103143j:plain老朽化したバスも、ここでは大活躍。

 

シャリマール庭園

f:id:YOSHI88:20201120103208j:plainムガール帝国最盛期の皇帝シャー・ジャハーンにより、1642年に王族の保養地として造園された。上・中・下の3段構成のテラスとなった庭園に水路が形成されている。

f:id:YOSHI88:20201120103230j:plain3段の一番上のテラス。

f:id:YOSHI88:20201120103305j:plainf:id:YOSHI88:20201120103324j:plain2段目のテラス。

f:id:YOSHI88:20201120155200j:plain一番下のテラス。こちらの水路には水が流れていない。

ジール・ハーンのモスク

f:id:YOSHI88:20201120105855j:plain1634年にワジール・ハーンにより建立されたモスク。色とりどりのタイルによるモザイク模様が美しい。

f:id:YOSHI88:20201120110312j:plainモスク内部。イスラム書道の修練場としても使われていたらしい。

f:id:YOSHI88:20201120110418j:plain一人で、礼拝している信者も。

f:id:YOSHI88:20201120110819j:plain兄弟だろうか?

 

旧市街バザール(デリーゲート)

f:id:YOSHI88:20201120110921j:plainジール・ハーンのモスク近くにあるデリーゲートの旧市街バザール。

f:id:YOSHI88:20201120110952j:plainf:id:YOSHI88:20201120111013j:plainf:id:YOSHI88:20201120111032j:plainf:id:YOSHI88:20201120111110j:plainf:id:YOSHI88:20201120111138j:plainf:id:YOSHI88:20201120111205j:plainf:id:YOSHI88:20201120111231j:plainf:id:YOSHI88:20201120111324j:plainf:id:YOSHI88:20201120111344j:plainf:id:YOSHI88:20201120111405j:plainf:id:YOSHI88:20201120111423j:plainf:id:YOSHI88:20201120111442j:plain

 カオス状態のバザールを堪能した後は、ラホール20:00発のPK610便でペシャワールへ。1時間半程でペシャワールに到着し、パール  コンティネンタルに宿泊。

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次回は、ペシャワール市内観光です(続く)。

海外旅行回想録1990-91年〜パキスタン編(3)

1990年の年末から1991年の年始にかけてパキスタンを旅行しました。

 旅の概要ですが、①モヘンジョ=ダロ遺跡、②パキスタン経済の中心地カラチ、③ハラッパー遺跡、④カラチに次ぐパキスタン第2の都市ラホール、⑤アフガニスタンとの国境付近のペシャワール、⑥ガンダーラ遺跡の点在するスワット地方、⑦ガンダーラ王国時代に栄えた仏教遺跡タキシラ、⑧パキスタンの首都イスラマバードの順に回りました。

第3回目は、モヘンジョ=ダロと並ぶインダス文明の代表的都市遺跡のハラッパー見学です。ハラッパーもモヘンジョ=ダロ同様、素晴らしい遺跡でした。

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[4日目]

宿泊先のホテルで朝食後、先ずはラホール博物館へ向かい、モヘンジョ=ダロやハラッパー遺跡からの発掘品等を見学。

ラホール博物館

f:id:YOSHI88:20201104234842j:plain1864年に開館したパキスタン最古で最大の博物館。

f:id:YOSHI88:20201104162042j:plain博物館内部。建築された当時はイギリス領インド帝国時代で、ヴィクトリア朝のゴシック・リヴァイヴァル建築とインドの伝統的建築の要素を併せて持っている。

f:id:YOSHI88:20201104160806j:plain博物館最大の見どころで、世界的にも有名なガンダーラ美術の代表作の「断食する仏陀像」。肋骨や血管が浮き出る程リアルに痩せ細った体が表現されている。

レナラ・フード

f:id:YOSHI88:20201104161001j:plainハラッパー遺跡へ向かう途中、レナラ・フードの街を通過。

f:id:YOSHI88:20201104161021j:plain別世界のようなイスラムの風景。

サイワール

f:id:YOSHI88:20201104161040j:plainハラッパー近くのサイワールのレストランで昼食。

f:id:YOSHI88:20201104161103j:plain入口の屋台。日本人の団体が珍しいのか、皆こちらを見ている。

f:id:YOSHI88:20201104162344j:plain昼食は、パキスタンの代表的なカレーやプラウ(スパイス入り炊き込みご飯)など。

ハラッパ

f:id:YOSHI88:20201106125708j:plainハラッパーは、モヘンジョ=ダロと並ぶインダス文明の代表的な都市遺跡で、かつてここに2万人以上の人々が暮らしていた。インダス川の上流側に位置しており、下流側のモヘンジョ=ダロとは約600km離れている。日本なら、首都東京がモヘンジョ=ダロで、ハラッパーは東京から約500km離れた大阪のようなものか。

 f:id:YOSHI88:20201106125633j:plain

丘にある「城塞部」(上図の左側)と、その西側にある「市街地」(労働者用住居等)からなっている点は、モヘンジョ=ダロと同じ。

共同墓地跡

f:id:YOSHI88:20201106183020j:plain遺跡入口を入ると、先ずは、広くて何も無いスペースが見えてくるが、これは墓地跡。

f:id:YOSHI88:20201106125809j:plain墓地跡を横切り、坂道を登って城塞部へと向かう。

城塞部

庶民階級住居跡

f:id:YOSHI88:20201106132749j:plain坂道を登って直ぐに、保存状態の良い遺跡と遭遇する。

f:id:YOSHI88:20201106132810j:plain井戸、その横にある円弧状の壁、これらよりも手前にある排水溝、井戸の奥に平行に敷かれた棒状の煉瓦群などが有る。庶民階級の住居跡らしいが、何とも不思議な遺跡。

f:id:YOSHI88:20201106132731j:plain丘の上部からこの住居跡を見下ろしてみる。円弧状の壁の左側(外側)に、排水溝が波打つように下部まで伸びている。また、壁の凹みに対応して排水溝が凸状に形成されているのも不思議。

f:id:YOSHI88:20201106132335j:plain円弧状の壁の裏側(右側)。こちらにも排水溝が形成されている。手前に丸く窪んた箇所が浴室のようなもので、その排水溝だろうか。

富裕階級住居跡

f:id:YOSHI88:20201106125928j:plainさらに進んで行くと、富裕階級住居跡がある。

排水溝

f:id:YOSHI88:20201106130012j:plain排水溝の幅を2枚の煉瓦で覆っている。モヘンジョ=ダロには無かった様式。

 屋外用ごみ入れ

f:id:YOSHI88:20201106130119j:plain排水溝の近くには、屋外用ごみ入れと思しきものが…そういえば、モヘンジョ=ダロの貴族や職人階級の人々が住んでいた場所にも似たようなものが有った。

モスク

f:id:YOSHI88:20201106194905j:plain城塞部の小高い場所に行ってみる。これは、712年にイスラム教徒が建てたモスク。

f:id:YOSHI88:20201106130201j:plainハラッパーも、モヘンジョ=ダロと同様に、色々な年代の遺跡が混在しているようだ。この下にはインダス文明の遺跡が眠っているかもしれない。

ニューハラッパ

f:id:YOSHI88:20201106130228j:plain城塞部から市街地へと向かう途中、右手に、現在のハラッパー村が見える。

市街地

作業者用住居

f:id:YOSHI88:20201106132316j:plain市街地には、作業者用住居跡と思われる区画が残っている。

f:id:YOSHI88:20201106194156j:plainこちらの排水溝の幅も2枚の煉瓦で覆われている。

バザール跡 

f:id:YOSHI88:20201106132104j:plain途中、バザール跡とされる広場を通過する。

作業場跡

f:id:YOSHI88:20201107110354j:plain作業者用住居の北側には、円形の作業台が複数個整然と配置されており、ここで脱穀や染色等の作業をしたと考えられている。

f:id:YOSHI88:20201106132039j:plain作業台は、焼成煉瓦を同心円状に敷き詰めて形成されているが、中心部分だけは何故か煉瓦が組まれていない。

溶鉱炉

f:id:YOSHI88:20201106131659j:plain写真の右端の中央あたりに、4本の柱の上に屋根で保護されたスペースがある。ガイドブックには、金属を溶かすための溶鉱炉とされている。

穀物倉庫跡

f:id:YOSHI88:20201106131353j:plain作業場から更に北へ進むと、一段低い所にあるのが穀物倉庫。

f:id:YOSHI88:20201106131418j:plain床面積は約800平方メートルで、モヘンジョ=ダロのものとほぼ同様の規模らしい。

ハラッパー博物館

f:id:YOSHI88:20201106132955j:plain最後に、ハラッパー博物館を見学。土器や印章の他、ほぼ完全な形で発掘された2体の人骨などが展示されている。

約2時間程かけて、ハラッパーの遺跡見学終了。

次回は、ラホール市内観光です(続く)。 

海外旅行回想録1990-91年〜パキスタン編(2)

1990年の年末から1991年の年始にかけてパキスタンを旅行しました。

 旅の概要ですが、①モヘンジョ=ダロ遺跡、②パキスタン経済の中心地カラチ、③ハラッパ遺跡、④カラチに次ぐパキスタン第2の都市ラホール、⑤アフガニスタンとの国境付近のペシャワール、⑥ガンダーラ遺跡の点在するスワット地方、⑦ガンダーラ王国時代に栄えた仏教遺跡タキシラ、⑧パキスタンの首都イスラマバードの順に回りました。

第2回目は、モヘンジョ=ダロ近くのラル・カナ村バザール散策とカラチ市内観光です。

f:id:YOSHI88:20201019125710j:plain[2日目]

モヘンジョ=ダロ遺跡見学後は、約30km離れたラル・カナ村のバザールへ。

f:id:YOSHI88:20201018165657j:plain途中、ラクダの群れと遭遇。

ラル・カナ村(バザール)

f:id:YOSHI88:20201018104752j:plainインダス川沿いにあるラル・カナ村。

f:id:YOSHI88:20201018104737j:plain道路には、馬車、自転車の他、リキシャー(三輪のタクシーで二人客席)も走っている。

f:id:YOSHI88:20201018104809j:plain雑貨屋店内は、サンダルや調味料などが所狭しと並べてある。

f:id:YOSHI88:20201018104825j:plain典型的なパキスタン人?何を作っているのだろう?

f:id:YOSHI88:20201018104842j:plain村は活気に溢れている。

f:id:YOSHI88:20201018104901j:plain無邪気な子供たち。

f:id:YOSHI88:20201018104917j:plain土産で良く売られているタペストリー。

f:id:YOSHI88:20201018104934j:plain二輪車の荷台?

f:id:YOSHI88:20201018104948j:plain

f:id:YOSHI88:20201018174334j:plain地元の人達の中に溶け込んでいる自分(笑)。なお、右横の紺のジャケットの男性は、添乗員。

バザール見学後は、バスでモヘンジョダロ空港に戻り、夕刻発の便で空路カラチへ。市内のラマダルネサンスに宿泊。

[3日目]

f:id:YOSHI88:20201031213949j:plain宿泊先のラマダルネサンス・ホテル。

f:id:YOSHI88:20201031215219j:plainホテルの部屋からカラチ市内を望む。

カラチ市内観光

朝食後、カラチ市内観光。

ムハマッド・アリ・ジンナー廟

f:id:YOSHI88:20201031221511j:plainパキスタン建国の父、初代総督のムハマッド・アリ・ジンナの霊廟。白亜の大理石製ドームと現代的でシンプルなデザインが特徴的。

f:id:YOSHI88:20201031221331j:plain天井から吊り下がったシャンデリアは中国からの贈り物。

f:id:YOSHI88:20201031221353j:plainドーム内の中央にはジンナーの石棺が置かれている。

f:id:YOSHI88:20201031221443j:plain廟周辺には、噴水のある庭園が広がっている。

カラチ・ゴット洗濯場

f:id:YOSHI88:20201031221541j:plain広大なゴット洗濯場。洗濯ロープに大量の洗濯物が隙間無く干されている。誰のものか分からなくなりそう(笑)。

パキスタン国立博物館

f:id:YOSHI88:20201031221650j:plainインダス文明の貴重な出土品が多数展示されている。

クリフトンビーチ(アラビア海)

f:id:YOSHI88:20201031221847j:plainカラチで最も人気の高い観光スポット。アラビア海から吹く風が涼しい。

f:id:YOSHI88:20201031221733j:plainここでは、砂丘ラクダ乗りが有名。

ハンディ・クラフト

f:id:YOSHI88:20201031222014j:plainシルクロードに位置するパキスタンは、絨毯も伝統工芸品。

f:id:YOSHI88:20201031222116j:plain手織作業場も見学。

チョウーカンディの遺跡

f:id:YOSHI88:20201031222206j:plainf:id:YOSHI88:20201031222225j:plainカラチ郊外にある、16-18世紀のイスラム教徒の墓石群。

f:id:YOSHI88:20201031222639j:plain砂岩を箱状に積み重ねた墓石には、故人にちなんだ彫刻が刻んである。 

カラチ市街

f:id:YOSHI88:20201031222702j:plainカラチ市内観光後、カラチ夕刻発のPK306便で空路、ラホールへ。

ラホール ラマダルネサンスホテル

f:id:YOSHI88:20201031222722j:plainラホール到着後、ラマダルネサンスホテルへ。

 次回は、モヘンジョ=ダロと並ぶインダス文明の遺跡、ハラッパです(続く)。

海外旅行回想録1990-91年〜パキスタン編(1)

1990年の年末から1991年の年始にかけてパキスタンを旅行しました。海外旅行は、トルコ、ペルーに続いて、3回目です。トルコから始まった世界遺跡巡りの旅、中近東、南米と旅して、今度は、世界四大文明発祥の地の一つとして世界史の教科書の冒頭あたりで誰もが聞いたことがあるが、実際には訪れる人は少なく、遺跡マニアが好みそうなモヘンジョ=ダロ遺跡に興味が湧き、この遺跡のあるパキスタンに決めました。

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パキスタン一周の旅10日間

トラベル世界株式会社

1990年12月29日(土)~1991年1月7日(月)

 旅の概要ですが、①インダス文明の代表的な遺跡モヘンジョ=ダロ、②パキスタン経済の中心地カラチ、③インダス文明のもう一つの遺跡ハラッパ、④カラチに次ぐパキスタン第2の都市ラホール、⑤アフガニスタンとの国境付近のペシャワール、⑥ガンダーラ遺跡の点在するスワット地方、⑦ガンダーラ王国時代に栄えた仏教遺跡タキシラ、⑧パキスタンの首都イスラマバードの順に回りました。

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第1回目は、いきなり旅のハイライト、モヘンジョ=ダロ遺跡です。

なお、現在、パキスタンに関する旅行ガイドは書店を見渡しても殆ど無く、 「地球の歩き方」も2007-2008年版以降出版されていないため、以下のブログでの説明は、当時のガイドブックの情報に基づくものです。 

[1〜2日目]

成田15:45発のパキスタン航空PK763便で、マニラ、バンコクを経由し、約13時間掛けてカラチへ。

朝食後、カラチ空港7:00発のPK564便で、モヘンジョダロ空港に8:55到着。

なお、防犯上の理由で空港内の写真撮影は禁止されていた。 

モヘンジョ=ダロ遺跡

モヘンジョ=ダロは、エジプト、メソポタミア、中国と並ぶ世界四大文明の一つのインダス文明(BC2600〜BC1700年頃)の最大の遺跡。高度な都市計画のもとに造られた町は、広さが4km四方にも及び、往時は3万人の人々が生活していたと推定されている。

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専用バスで遺跡の入口ゲートを通過する。

遺跡は、高台にあるストゥーパ(仏塔)周辺の「城塞部」と、住居の並ぶ「市街地」に分かれている。


城塞部

f:id:YOSHI88:20201018184236j:plainバスから降りて、しばらく歩くと、城塞部の入口に到着する。正面奥には、ストゥーパが見える。

f:id:YOSHI88:20201018184505j:plain先ずは、ストゥーパを目指して、高台を登っていく。

ストゥーパ(仏塔)

f:id:YOSHI88:20201018190745j:plainストゥーパは、煉瓦でできた高さ15mの建造物。遺跡のシンボルのようだが、実はインダス文明の遺跡ではなく、モヘンジョ=ダロの廃墟の上に紀元後2〜3世紀に造られた仏教遺跡。モヘンジョ=ダロは7層もの遺跡が重なり合っているとされ、異なる時代に造られた建造物も混在してしまっている。

学院跡

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ストゥーパ近くにある学院跡。

f:id:YOSHI88:20201018184711j:plain「学院」と呼ばれているのは、ここからペンやインク壺等が発見された事に由来しているらしい。 

卵型井戸

f:id:YOSHI88:20201018185059j:plain学院近くにある卵型井戸。円形の井戸ではなく、珍しい楕円形。

沐浴場

f:id:YOSHI88:20201021130732j:plain遺跡群の中でも最大の見どころの「沐浴場」全景。

f:id:YOSHI88:20201018185956j:plain長さ12m、幅7m、深さ2.5mの巨大な浴場。北側と南側の2ヶ所に階段が設置されている。

f:id:YOSHI88:20201018185853j:plain 大人の身長よりもかなり深いため、大浴場としてではなく、「貯水池」のような別の目的に使われたのではないだろうか…。

排水溝

f:id:YOSHI88:20201018190245j:plain沐浴場の側には、巨大な排水溝がある。

f:id:YOSHI88:20201018190352j:plainこの排水溝は、大人が十分歩ける幅と高さがある。

f:id:YOSHI88:20201022104706j:plain現代でも十分に通用しそうな立派な排水溝。

f:id:YOSHI88:20201018190524j:plain 道路の端にある排水溝には、蓋がされている。

f:id:YOSHI88:20201018190817j:plain至る所に排水溝が張り巡らされており、モヘンジョ=ダロ全体が計画的に造られた高度な治水システムを持っていたと思われる。

ストゥーパ(仏塔)

f:id:YOSHI88:20201019183239j:plainストゥーパに戻って、記念撮影。

f:id:YOSHI88:20201019190450j:plainここからは、遊歩道を挟んで「市街地」を見渡せる。

f:id:YOSHI88:20201019190527j:plainこの角度からは、真下に、先程見学した「学院跡」(青い看板のある場所)が見える。

f:id:YOSHI88:20201019190631j:plain正面やや奥には、「沐浴場」(青い看板のある場所)も見える。更にその奥には、「穀物倉」がある。

f:id:YOSHI88:20201019190652j:plain整然と区画された小部屋。

 僧侶跡

f:id:YOSHI88:20201018210616j:plainストゥーパ近くにある僧侶跡。

f:id:YOSHI88:20201018210640j:plainこれも、ストゥーパと同様に紀元後2〜3世紀に造られたものかも知れない。

 

高台にある「城塞部」を見学した後は、西側にある「市街地」の住居群へ。

市街地

市街地は、 発掘者の名前を取って、DK地区、VS地区、HR地区などに分けられている。

DK地区

DK地区は、貴族や職人階級の人々が住んでいたとされている。

f:id:YOSHI88:20201018211115j:plainこの地区の家は、かなり大きく、壁も厚くて高い。モヘンジョダロビバリーヒルズか?

f:id:YOSHI88:20201018211047j:plainしかし、壁の一番下の部分は、塩害により白く変色している。遺跡周辺の灌漑水路やダム建設により地下水位が上昇し、地中の塩分が地表に現れて煉瓦を蝕んだようだ。

f:id:YOSHI88:20201018211331j:plainこの辺りは、比較的保存状態の良い家が多い。

f:id:YOSHI88:20201018211532j:plain何故か、壁の上部の方が歪んで変形している。

屋外用ごみ入れ

f:id:YOSHI88:20201018211454j:plain煉瓦で造られたごみ入れも立派。

 井戸

f:id:YOSHI88:20201018210943j:plain至る所に井戸が見られる。

f:id:YOSHI88:20201018211558j:plainこちらも、煙突ではなく、井戸。

f:id:YOSHI88:20201018211708j:plain このような高い井戸は、高層階で使用されていたようだ。

f:id:YOSHI88:20201018212304j:plainこちらは、区長の家。手前の空きスペースから見て、公共の建物の様にも思える。

f:id:YOSHI88:20201018212621j:plain珍しく壁に穴が開いている。また、壁の真ん中辺りも塩害が見られる。

大通り

f:id:YOSHI88:20201018212947j:plain市街地を貫く平坦な大通り。幅は10m近くある。かつてはインダス川までつながっていたと考えられている。

小道

f:id:YOSHI88:20201018213347j:plain低層階の家が建ち並ぶ領域では、歩行路が整然と区画されている。

 VS地区

VS地区は、農民が住んでいたとされている地区。

f:id:YOSHI88:20201018214408j:plain丸い石組みが並んでいる。何か農作業を行なっていたのだろうか。

インダス文字の標識

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インダス文字による標識で、「 HR地区→    ←VS地区     」と書いてあるらしい。

モヘンジョダロ博物館

f:id:YOSHI88:20201018214548j:plain遺跡のゲート近くにあるモヘンジョダロ博物館。

f:id:YOSHI88:20201018214457j:plain階段で2階に上がると、正面に、モヘンジョ=ダロの都市の想像図が描かれている。展示室には、発掘された土器、石器、銅製の道具、貝の装飾品、踊り子や神官の像など興味深いものが展示されていたが、残念ながら写真撮影禁止。

モヘンジョダロの滅亡について

モヘンジョ=ダロとは、「死の丘」の意味であり、1921年歴史学者が足を踏み入れるまでは、「得体の知れない死者が眠る墳丘」として地元の人々の間でも禁忌の領域だった。即ち、モヘンジヨダロは、廃虚としての現在の名前であり、繁栄していた巨大都市の往時の呼び名、正式な名前すら分からない謎の古代都市なのである。

モヘンジョ=ダロには、上下水道、井戸、風呂、ダストシュート、水洗便所まで完備されており、高度な排水システムが完備されていた。この様な高度な文明を持っていたモヘンジョ=ダロは、紀元前1800年頃、比較的短期間で滅びている。

 滅亡の理由としては、「大規模な洪水説」が通説であるが、他に、「古代核戦争説」がある。

遺跡近くの町の壁からは、異常な量の熱を一瞬にして浴びたような形跡、大量のガラス片が発見されている。ガラス片は、瞬間的な高熱で溶解した状態のまま固形化した物質であり、これは何らかの原因によって町を一瞬で焼き尽くす程の高熱が発生したことに由来するものと考えられる。しかし、この地域には、火山はなく、町を一瞬で焼き尽くす程の高熱が一体何によって作られたのか不明である。ここで、路上や井戸端等でうつ伏せや仰向けという不自然な状態で発見された人骨から通常の数十倍の放射能が検出されていることから、「古代核戦争説」が浮上する。

 また、この説を間接的に裏付けるものとして、古代インドの叙事詩マハーバーラタ」、「ラーマーヤナ」に、まるで核爆発が起こったとしか思えないような記述が残っている。また、聖書の創世記には、神の怒りに触れた町「ソドム」と「ゴモラ」が一瞬にして灰と化すシーンもある。

この「古代核戦争説」は、最近では中学社会地理の授業でも、取り上げられている。「ソドム」や「ゴモラ」のような、モヘンジョダロが繁栄していた往時の都市名が明らかになる日は来るのだろうか?


【中学社会 地理】 モヘンジョダロの考古遺跡 ~90秒ワンポイント授業~【秀英iD予備校】 

 約3時間程掛けて、見どころ満載のモヘンジョ=ダロ遺跡を見学した後は、遺跡近くにあるラル・カナ村のバザール散策へ(続く)。