sarorunの気ままなぶらり旅

旅先での自然、遺跡、グルメについて気ままに呟きます

古事記「国生み神話」の世界から今日まで繋がる、国境の島々・対馬・壱岐の旅(4)

日本と大陸の中間に位置することから、これらを結ぶ海上交通の要衝として交易・交流の拠点であった対馬壱岐

対馬壱岐は、古事記「国生み神話」で、本州、四国、九州を含む日本の大きな8つの島「大八島国」(おおやしまぐに)の中のそれぞれ「津島」「伊伎島」として描かれ、「本州」や「佐渡」よりも先に誕生したとされています。そんな太古の古事記の世界から今日まで繋がる、島々の文化や歴史をたどる旅を楽しんできました。

旅の前半は、対馬。①万松院(対馬藩主宗家菩提寺)、②上見坂公園(標高358mの展望台)、③椎根の石屋根(県指定有形文化財)、④小茂田浜神社(元寇ゆかりの神社)、⑤海神神社(対馬国一の宮)、⑥和多都美神社(海中にそびえる鳥居が美しい)、⑦烏帽子岳展望台(360度をぐるりと見渡せる)の順に観光しました。(地図提供元:Re島プロジェクト)

今回は、海幸彦・山幸彦神話の時代を偲ばせ、竜宮伝説の残るパワースポット⑥和多都美神社の見学です。

和多都美神社

対馬の中央に広がる浅茅湾北西岸の最奥部に佇む海宮。海神である豊玉彦尊(トヨタマヒコノミコト)がこの地に海宮(わたつみのみや)と名付けた宮殿を作ったことが始まりとされ、彦火々出見尊(ヒコホホデミノミコト=山幸彦)と、豊玉彦尊の娘・豊玉姫命(トヨタマヒメノミコト)の夫婦神が祀られている。

豊玉姫命彦火火出見尊(山幸彦)の出会いに由来する「玉の井」の絵。

(海幸彦・山幸彦神話)

海幸彦は海の漁、山幸彦は山の猟を司る、神聖な威力をもつ兄弟神だが、あるとき兄弟はその漁具猟具を交換し猟場を違えて出かけた。ところが弟山幸彦は兄海幸彦の大切にしていた釣針を失ってしまった。困り果てた山幸彦が海辺で泣いていると塩土老翁があらわれ、目無籠を作って山幸彦を乗せ、海神の宮へ行くように教えた。

山幸彦は海神の宮で出会った海神の娘・豊玉姫命(トヨタマヒメノミコト)と恋に落ち結婚するが、見つけた釣針を兄に返すため三年後に帰還する。豊玉姫命は天神の子を宿したことを知り、海辺の渚に鵜の羽を茅葺きの材料として産屋を作り、出産する。山幸彦は禁止されていたにもかかわらず産屋を覗き見ると、豊玉姫命は鰐(ワニ)の姿となっていた。姿を見られたことを恥じた豊玉姫命鵜葺草葺不合命(ウガヤフキアエズノミコト=初代天皇である神武天皇の父)を出産後、海神の国との境界を閉じて海神の宮へ帰ってしまう。

多都美神社の「和多都美」とは海神(わたつみ)のこと。本殿正面に海、裏手には森という配置で、秋の大潮時には、社殿の近くまで海水が満ち、その様は竜宮を連想させる。海神にまつわる玉の井伝説の遺跡跡や満珠瀬、干珠瀬、磯良恵比須などの旧跡も多い。また、本殿の横には、磐座(いわくら:神がご降臨される巨石)や豊玉姫命の墳墓とされる史跡が残る。

和多都美神社には真珠にちなむ伝承があり、「真珠の浜」から、汐満珠、汐干珠の神宝を産したと言い伝えている。

「太田浜」辺りでバスから降りる。太田浜には海中に二つの岩礁があり、左の瀬を「満珠瀬」、右の瀬を「干珠瀬」という。

玉の井

先ずは太田浜近くにある「玉の井」を見学する。玉の井は、豊玉姫命と山幸彦が出会ったとされる場所。年季の入った石の鳥居の扁額に「和多都美神社」とある。

鳥居の正面奥に、ひっそりと「玉の井」が残されている。今でも遠い昔の神話の時代を彷彿させるような神秘的な場所だ。

今でも湧水が出ているという。

玉の井」を見学した後は、「満珠瀬」辺りを歩く。一ノ鳥居が見えてきた。

「満珠瀬」から振り返った「干珠瀬」の風景。

和多都美神社の鳥居の位置関係

一ノ鳥居から五ノ鳥居まで、本殿に向かって一直線上に配置されている。

一ノ鳥居

一ノ鳥居は、本殿から250メートルほど離れた場所にあり最も海側にある。一昨年の台風被害により倒壊したが、昨年再建された模様。

太陽の陽射しを浴びて、神々しく佇んでいる。高さ約4.2メートル、幅3.5メートルで、素材は御影石。鳥居の周りの海水の透明度も驚くほど高い。

一ノ鳥居の辺りから本殿を見守るように、豊玉姫の像も建っている。

ニノ鳥居

ニノ鳥居も同様、太陽の陽射しを浴びて神々しく、神秘的。午前11時頃だが、天気にも恵まれ、この様な貴重な景色を撮影できたことに感謝!

「満珠瀬」から見た一ノ鳥居とニノ鳥居。

三ノ鳥居

三ノ鳥居からは海中ではなく、陸地にある。

ここから玉砂利の参道も形成されている。

三ノ鳥居からの眺め。一ノ鳥居から三ノ鳥居まで一直線上にあるのが分かる。

「平成16年9月吉日」とある。この時期に再建されたのだろう。

横から見ると、鳥居は等間隔ではなく、ニノ鳥居と三ノ鳥居の間隔が結構ある。

磯良恵比寿(三柱鳥居)

三ノ鳥居と四ノ鳥居の間にある三本柱の鳥居。以前、京都・太秦(うずまさ)にある神社の三本柱の鳥居をテレビで見たことがあるが、渡来系氏族の秦(はた)氏に関連したものだったと思う。

こちらの鳥居は「磯良恵比須」という岩が祀られている。「磯良」は民間伝承では豊玉姫命の子であると伝わり、また鵜茅葺不合尊(ウガヤフキアエズノミコト=初代天皇である神武天皇の父)の別名といういわれもある。

この岩には、鱗状の亀裂がはっきりと見える。説明板によれば、「磯良の墓とした伝説があるが、古い祭祀における霊座か、御神体石だったのではないかと思われる」とある。

四ノ鳥居

四ノ鳥居からは「三ノ鳥居」と三柱鳥居の「磯良恵比寿」が見える。秋の大潮の頃この辺りまで海面が上昇すれば、「海神」を祭るに相応しい雰囲気になるのだろう。

前方には、五ノ鳥居が見え、社殿は直ぐそこ。

五ノ鳥居

社殿前の最後の鳥居。鳥居もかなり古い。社殿は、城壁のような壁に囲われている。

振り返って見ると、一ノ鳥居から五ノ鳥居まで一直線上に配置されている。

亀甲岩(三柱鳥居)

社殿横には、もう一つの三柱鳥居がある。こちらの鳥居には、亀の形をした「亀甲石」が祀られており、かつて亀卜(きぼく:亀の甲を焼き、そのひび割れの入り方で吉凶を占う卜占術)を行なっていた場所と伝えられている。

社殿の左側には、本殿から龍が這い出してきたような形の巨木の根が地を這っている。

本殿

神明造りの本殿。その手前に2つの摂社。

緑に囲まれる本殿。本殿奥には遊歩道も整備されている。

豊玉姫之墳墓

本殿の横には、磐座(いわくら:神がご降臨される巨石)があり、豊玉姫命の墳墓とされる史跡が残る。

豊玉姫之墳墓」は、和多都美神社最強パワースポットとされている。

遊歩道

本殿の裏手の遊歩道では、緑豊かな原生林が林立し、森林浴が存分に楽しめる。

遠く神話の時代を偲ばせる神秘的な雰囲気を漂わせている。

遊歩道に沿って行くと、社殿前にある五ノ鳥居に出る。

次回は、烏帽子岳展望台から浅茅湾(あそうわん)を眺望し、昼食後、フェリーで壱岐へと向かいます(続く)。

古事記「国生み神話」の世界から今日まで繋がる、国境の島々・対馬・壱岐の旅(3)

日本と大陸の中間に位置することから、これらを結ぶ海上交通の要衝として交易・交流の拠点であった対馬壱岐

対馬壱岐は、古事記「国生み神話」で、本州、四国、九州を含む日本の大きな8つの島「大八島国」(おおやしまぐに)の中のそれぞれ「津島」「伊伎島」として描かれ、「本州」や「佐渡」よりも先に誕生したとされています。そんな太古の古事記の世界から今日まで繋がる、島々の文化や歴史をたどる旅を楽しんできました。

旅の前半は、対馬。①万松院(対馬藩主宗家菩提寺)、②上見坂公園(標高358mの展望台)、③椎根の石屋根(県指定有形文化財)、④小茂田浜神社(元寇ゆかりの神社)、⑤海神神社(対馬国一の宮)、⑥和多都美神社(海中にそびえる鳥居が美しい)、⑦烏帽子岳展望台(360度をぐるりと見渡せる)の順に観光しました。(地図提供元:Re島プロジェクト)

今回は、ツアー2日目に入り、朝食後、対馬唯一の一の宮として崇敬されている⑤海神神社の見学です。

ホテル対馬

対馬での宿泊先は、ホテル対馬。ビジネスホテルの様に部屋は手狭で、建物や設備は年季が入っているが、

バスターミナルのある「観光情報館ふれあい処つしま」やショッピングセンター、コンビニが徒歩圏内でとても便利なロケーション。

和定食の朝食。予めサラダ、ミートボール、鯖、玉子焼き、納豆、明太子、冷奴等がお盆に盛られている。観光を重視したツアーの宿泊先なのであまり期待していなかったが、ありきたりのバイキングではなく、それほど悪くもない。

朝食後は、バス出発時刻まで近場を散策。

近くを流れる「厳原本川」。

川沿いに並ぶしだれ柳や、石造りの橋。。。以前に立ち寄った「城崎温泉」の雰囲気に似ている。

城崎温泉のブログ👇

近くのコンビニに入って、対馬土産の「かすまき」(こし餡をカステラ風の生地で巻いた銘菓)を戴く。モーニングコーヒーのお供にぴったり(笑)。

韓国に近いため、案内にはハングル語も見かける。

アーバスに乗り、海神神社へと向かう。対馬は海幸彦・山幸彦神話の発祥地ともいわれ、日本の建国神話にもかかわっている。

(海幸彦・山幸彦神話)

海幸彦(火照命)は海の漁、山幸彦(火遠理命)は山の猟を司る、神聖な威力をもつ兄弟神だが、あるとき兄弟はその漁具猟具を交換し猟場を違えて出かけた。ところが弟山幸彦は兄海幸彦の大切にしていた釣針を失ってしまった。困り果てた山幸彦が海辺で泣いていると塩土老翁があらわれ、目無籠を作って山幸彦を乗せ、海神の宮へ行くように教えた。

山幸彦は海神の宮で出会った海神の娘・豊玉姫命(トヨタマヒメノミコト)と恋に落ち結婚するが、見つけた釣針を兄に返すため三年後に帰還する。豊玉姫命は天神の子を宿したことを知り、海辺の渚に鵜の羽を茅葺きの材料として産屋を作り、出産する。山幸彦は禁止されていたにもかかわらず産屋を覗き見ると、豊玉姫命は鰐(ワニ)の姿となっていた。姿を見られたことを恥じた豊玉姫命鵜葺草葺不合命(ウガヤフキアエズノミコト)を出産後、海神の国との境界を閉じて海神の宮へ帰ってしまう。

海神神社

海神神社(かいじんじんじゃ)は、上対馬の西側、伊豆(木坂)山の麓に鎮座し、豊玉姫命(トヨタマヒメノミコト)を主祭神とし、夫の火遠理命(ホオリノミコト=山幸彦)、息子の鵜葺草葺不合命(ウガヤフキアエズノミコト=初代天皇神武天皇の父)、海の女神である宗像三神らを配祀する。

鳥居右脇には「國幣中社海神神社」との社号標があり、明治4年(1871年)に旧社格の國幣中社に列格した。創祀年代は不詳だが、対馬唯一の一の宮として崇敬されている。

社伝によれば、神功皇后三韓討伐からの帰途、新羅を鎮めた証として8本の旗を納めたことが起源とされる。旗は後に現在地の木坂山に移され「木坂八幡宮」と称されていた。中世には、現在の厳原八幡宮(下津八幡宮)に対して「上津八幡宮」、「八幡本宮」とも呼ばれていたが、明治4年主祭神を「八幡神」から「豊玉姫命」に変更し、社号も「海神神社」に改めた。何やら、複雑な歴史的経緯があるようだ。

周辺の木坂山(伊豆山)は、神域として一切斧を入れない原生林のまま保存され、県指定天然記念物の「野鳥の森」となっている。

伊豆山の「伊豆」とはイツ(稜威、厳)の意で、心霊を斎き祀ることを意味している。

鬱蒼とした杜の中に、参道鳥居(ニの鳥居)が見えてくる。

原生林の中の参道を歩いていると、「神域」内を通過しているようで厳かな気分になる。

社殿へと続く、長い石段。参道鳥居から社殿まで約300段あるらしい。途中に「ヤマガラの道」という散策路が分岐している。

石段を登ると踊り場のような平らな所があり、最後の鳥居(三の鳥居)がある。

この鳥居の扁額を拡大してみると、不思議な事に、一番上の文字が「海神神社」の「海」ではなく、「毎」の下に「水」と記されているように見える。「水」の部分を「氵」(さんずい)と見なせば、海と同意になるのかもしれない。

振り返ると、木々の隙間から、海が広がっているのが見える。

社殿まであと少し。更に石段を登っていく。

石段を上りきると社殿のある境内で、正面には大きな拝殿がある。

拝殿の後方には、立派な本殿がある。『對州神社誌』には、海神神社は「八幡宮」と記され、明治までは「八幡宮」と称していた。一説には、継体天皇の御代、祭殿を建て八幡宮と称したとされ、我が国八幡宮の発祥の地とも言われている。

境内には、更に摂社・末社が17座あるとされる。

海神神社は、一切斧を入れずに原生林のまま保存されてきた周辺の木坂山(伊豆山)の中に広大な境内があるため、神社に祀られてい多数の神様だけでなく、神域としての木坂山からもパワーをもらえた気がする。

次回は、海幸彦・山幸彦神話や竜宮伝説を正に体感できる「和多都美神社」の見学です(続く)。

古事記「国生み神話」の世界から今日まで繋がる、国境の島々・対馬・壱岐の旅(2)

日本と大陸の中間に位置することから、これらを結ぶ海上交通の要衝として交易・交流の拠点であった対馬壱岐

対馬壱岐は、古事記「国生み神話」で、本州、四国、九州を含む日本の大きな8つの島「大八島国」(おおやしまぐに)の中のそれぞれ「津島」「伊伎島」として描かれ、「本州」や「佐渡」よりも先に誕生したとされています。そんな太古の古事記の世界から今日まで繋がる、島々の文化や歴史をたどる旅を楽しんできました。

旅の前半は、対馬。①万松院(対馬藩主宗家菩提寺)、②上見坂公園(標高358mの展望台)、③椎根の石屋根(県指定有形文化財)、④小茂田浜神社(元寇ゆかりの神社)、⑤海神神社(対馬国一の宮)、⑥和多都美神社(海中にそびえる鳥居が美しい)、⑦烏帽子岳展望台(360度をぐるりと見渡せる)の順に観光しました。(地図提供元:Re島プロジェクト)

今回は、③「椎根の石屋根」、④「小茂田浜神社」を見学した後、①万松院のある「厳原港」近くに戻り、日本料理「志まもと」で夕食後、「ホテル対馬」に宿泊します。

椎根の石屋根

椎根の石屋根は、対馬市南西部の「椎根」(しいね)地区にある、石屋根の倉庫群のこと(県指定有形文化財)。

これらの倉庫群は、対馬で産出される板状の石で屋根を葺いた対馬独特の高床式の建物。朝鮮海峡に面し、風が強い対馬では、農産物などを入れる倉庫の屋根として、瓦の代わりに厚くて大きな自然の石が使われていた。

これらの建物は、人家には使用せず、火災から守るため母屋から離れたところで、食料や衣類、什器など生活に重要なものを保管していたといわれている。しかも床を高床式とすることで、風・火湿気にも強い倉庫になっている。

柱は、断面が長方形の「平柱」であって椎材を用い、周囲の壁・床・天井には松材を用いた。

近くにある「石屋根橋」。

欄干も石屋根の形状で凝っている。

「石屋根橋」を渡って少し歩いていくと、

「椎根川」に沿って小屋が並んでいるが、多くは石屋根から瓦に葺き替えられている。

こちらの倉庫は、格子柄が特徴的。

屋根には、白鷺が威厳高く人の様に立っている(笑)。

小茂田浜

「椎根の石屋根」のやや北側に位置し、県道44号と並走する佐須川(さすがわ)の河口付近にある海岸。河口は港が整備され、右岸は小茂田浜海水浴場になっている。

今は海浜公園にもなっている平和な場所だが、どこか物哀しく感じるのは、かつて「蒙古襲来」(文永の役(1274年)で3万とも言われる元の軍隊が上陸してきた)の古戦場であったためか…。対馬守護代であった宗助国(そうすけくに)は、わずか80名ほどの兵を率いて元軍を小茂田で迎え撃ち、全員戦死したといわれている。

助国以下戦死した将兵は、隣接する「小茂田浜神社」(こもだはまじんじゃ)に祀られている。

小茂田浜神社

直ぐ横が「境内」になっている。神社には、助助ら勇敢に戦った将兵の霊が祀られ、毎年11月12日の祭礼の日には、その霊を慰める「元寇祭」が行われる。

小茂田浜神社の社殿。「元寇祭」では、武者姿に扮した住民の皆さんが当時を思わせる鎧、兜、刀、槍などで身をかため、参道を練り歩き、その後、神官が蒙古軍が攻めてきた海に向かって弓を引き、武者たちが「えい、えい、おー」と威勢よくときの声をあげます。最後に助国らの戦いぶりを詠んだ「小茂田浜の歌」が歌われます。

境内を出ると、「元寇750年宗助国公騎馬像」や、

元寇700年平和之碑」、

元寇奮戦図」などが並んでおり、当時の対馬国を守るために、助国らが奮闘した様子が伝え継がれている。

案内板によれば、宗資国の墓と伝えられる「お首塚」が下原に、「お胴塚」が樫根にあり、一軍の首将の墓がバラバラにあるのも最期の壮絶さが伝わってくる。

海が近いため、参道に沿って防風林が立ち並ぶ。

最後に、小茂田浜神社の「一ノ鳥居」を後にする。参拝の順序が逆だった?

島南西部にある「小茂田浜神社」から、島を東西に横断する県道44号で、東岸の「厳原港」付近へと戻る。

志まもと

夕食は、ランチで利用した「ふれあい処  つしま」の隣で、対馬随一の高級店と言われる日本料理「志まもと」。

ブリ湯豆腐を始め、ひじきの煮物、小鉢ワカメ。酒は、対馬随一の日本酒で、対馬の霊峰から名付けられた「白嶽」(しらたけ)。

お刺身(鰹のタタキ、マグロ、平政、鰤)ヒオウギ貝(帆立貝と似ている)のオイル漬

対馬名物穴子カツ薩摩芋の澱粉で作った対馬独自のろくべえ汁茶碗蒸し

デザート(黒糖のくず餅)

「白嶽」は、スッキリとした甘口で後味が心地よい良い酒。対馬伝統の郷土料理に旬の食材を入り混ぜた、新たな食の出会いに感動!

宿泊先は「ホテル対馬」。建物や設備は年季が入っており、部屋も手狭だが、厳原の中心部に近く、バスターミナル(観光情報館ふれあい処つしま)やスーパーマーケット、ドラッグストア、コンビニが徒歩圏内でとても便利なロケーション。

翌日は、対馬を⑤海神神社(対馬国一の宮)、⑥和多都美神社(海中にそびえる鳥居が美しい)、⑦烏帽子岳展望台(360度をぐるりと見渡せる)の順に観光した後、壱岐に向かいます(続く)。

古事記「国生み神話」の世界から今日まで繋がる、国境の島々・対馬・壱岐の旅(1)

日本と大陸の中間に位置することから、これらを結ぶ海上交通の要衝として交易・交流の拠点であった対馬壱岐

これら対馬壱岐は、古事記「国生み神話」で、本州、四国、九州を含む日本の大きな8つの島「大八島国」(おおやしまぐに)の中のそれぞれ「津島」「伊伎島」として描かれ、「本州」や「佐渡」よりも先に誕生したとされています。そんな太古の古事記の世界から今日まで繋がる、島々の文化や歴史をたどる旅を楽しんできました。

f:id:YOSHI88:20220412133602g:plain

第1回目は、長崎から空路で対馬に入り、①万松院(対馬藩主宗家菩提寺)、②上見坂公園(標高358mの展望台)を訪れます。

f:id:YOSHI88:20220414104653j:plain(提供元:Re島プロジェクト)

[1日目]

f:id:YOSHI88:20220414110114j:plain羽田空港8:30発のANA661便に搭乗し、長崎空港へと向かう。

f:id:YOSHI88:20220417222524j:plain搭乗して間もなくのレインボーブリッジ、フジテレビ上空。大都会「東京」を一望。

f:id:YOSHI88:20220417222557j:plain雪と雲に覆われた富士山頂付近を通過。

f:id:YOSHI88:20220417224746j:plain小豆島上空あたり。幻想的な風景が広がる。

f:id:YOSHI88:20220417224913j:plain福山市上空。田島、横島、百島も見える。

f:id:YOSHI88:20220417231917j:plain三原市上空。雲の下に、佐木島生口島伯方島、大島、大三島も確認できる。
f:id:YOSHI88:20220416194400j:plainようやく長崎空港に近づいてきた。

長崎空港

f:id:YOSHI88:20220418111341j:plain羽田空港から2時間程で到着。空港の外観はレンガ色を基調とし、教会やチャペルをイメージしてか、白いアーチ状のデザインや大きな鐘が印象的。なお、空港到着後、いきなり地震警報が流れる。どうやらトカラ列島で最大震度5強の地震があった模様。幸い、空港建物内でほとんど揺れを感じなかった。

f:id:YOSHI88:20220414110827j:plain長崎空港は、空港全体が大村湾の沖合に位置する、世界初の海上空港。周囲の海が近いということもあり、開放感があって海風がとても心地良い。

f:id:YOSHI88:20220414111338j:plain長崎空港12:10発のANA4653便で対馬空港へと向かう。

f:id:YOSHI88:20220414222955j:plain対馬空港付近の上空を通過。この辺りは浅茅湾(あそうわん)で、複雑な入江のリアス式海岸が広がる。

対馬やまねこ空港

f:id:YOSHI88:20220414223038j:plain長崎空港から約30分で対馬に到着。

f:id:YOSHI88:20220418110911j:plainこの空港は、「対馬やまねこ空港」の愛称で親しまれている。愛称に含まれる「やまねこ」は、対馬のみに生息し、絶滅危惧種に指定されている「ツシマヤマネコ」(写真左側のイラスト)に由来。先ずは専用バスで昼食会場へと向かう。

ふれあい処  つしま

f:id:YOSHI88:20220414223156j:plain昼食会場は、空港からバスで約30分の「ふれあい処   つしま」。木造瓦屋根の和風建築が目を引く。この建物は、対馬藩の家老・古川家の「長屋門」を再現したもので、建物内には、観光案内所や対馬の特産品を売っている店もある。

f:id:YOSHI88:20220414223231j:plain建物内の「憩いの間」に昼食がセッティングされている。

f:id:YOSHI88:20220416194452j:plain昼食は、ろくべえ(中央)、穴子カツ(左上)に、小鉢とおにぎり。「ろくべえ」は、サツマイモの澱粉で作った対馬独自の黒くて太い麺料理。プルプルした食感が楽しめるヘルシーな郷土料理。「穴子カツ」の穴子は、身が厚く脂が乗っている。

昼食後は、近くにある対馬藩主宗家菩提寺「万松院」の見学へ。

しばらく金石川沿いの広い道を真っ直ぐに歩いていく。この辺りは、宗家が治めた対馬藩十万石の城下町。右側に、金石城の趣のある石垣が延々と続いている。

金石城跡(櫓門)

少し歩くと、金石城跡の櫓門(やぐらもん)が見えてくる。金石城は享禄元年(1528)に宗将盛(そう まさもり:宗家14代)によって金石館(屋形)が建てられ、1669年に宗義真が櫓を築いて金石城と呼ぶようになった。金石城は大火で焼失したが、櫓門は、1990年に復元された。

万松院

万松院(ばんしょういん)は、対馬藩主である宗家20代義成(よしなり)が父義智の冥福を祈って元和元年(1615年)に創建した菩提寺で、国の史跡に指定されている。

山門・仁王像

万松院は数度の火災により焼失したが、安土桃山式の山門と仁王像は創建当時のままで対馬最古の建物。

本堂

本堂は、数度の火災後、明治12年(1879年)に建造されたもの。

堂内には、朝鮮国王から贈呈された三具足(香炉・燭台・花瓶)が並んでいる。

百雁木

歴代藩主が祀られている御霊屋へと続く百雁木(ひゃくがんぎ)。132段ある石段が幽玄な雰囲気を醸し出している。

中御霊屋

この石段を上った場所に宗家一族の墓所である御霊屋(おたまや)がある。その規模は大大名並みで、金沢市の前田藩墓地、萩市の毛利藩墓地とともに日本三大墓地の一つとも言われている。

万松院の大スギ

墓所の近くに樹齢1200年と言われる万松院の大スギがあり、杉では対馬一の樹齢を誇っている。

上見坂公園

上見坂(かみざか)公園(上見坂園地)は、厳原(いずはら)町と、美津島(みつしま)町との境界に位置する峠(標高358m)にある。

「この丘陵は、東に対馬海峡、西に霊峰白嶽(515m・岩体は石英班岩)と、それに連なる稜線上に、古代の朝鮮式山城金田城跡の遺る城山、そして北に景勝のリアス式海岸浅茅(あそう)湾を隔てて、重畳する対馬北部の山々を望む。」(掲示板より)

展望台からは、浅茅湾の複雑な入り江が織りなす絶景が箱庭のように眼下に広がる。天気が良ければ、遠く九州本土や韓国の山々も見えるらしく、まさに国境の島ならではの眺望。

九州百名山のひとつ霊峰・白嶽(しらたけ)。神秘的な姿が古くから信仰の対象となっている。

対馬空港、大船越あたり。断崖の海岸が続いている。

この後、県指定有形文化財の③「椎根の石屋根」(石屋根倉庫)、元寇ゆかりの神社の④「小茂田浜神社」等を観光します(続く)。

自然と歴史が織りなす黄金の理想郷・佐渡の旅(7:最終回)

古事記」のイザナギ(夫)・イザナミ(妻)の国生み神話では、7番目に生んだ島とされ、江戸時代には金山の島として栄えた日本最大の離島、佐渡。島内各地には、自然豊かな景勝地や歴史的スポットなど多彩な魅力が詰まっており、自然と歴史が織りなす温暖な理想郷!そんな佐渡を2泊3日のツアーで楽しんできました。

f:id:YOSHI88:20211218155427j:plain

第7回(最終回)は、「古事記」の国生み神話に由来する⑥「夫婦岩」と、⑦「トキの森公園」の見学です。

七浦海岸

f:id:YOSHI88:20220303130847j:plain

新潟県佐渡市の二見から鹿伏までの約10kmにわたり変化に富んだ岩場が続く海岸線。夕日に照らされた景色が美しく、日本の夕陽百選にも選ばれている。日本海に突き出した「橘の長手岬」や「春日崎」、「高瀬の夫婦岩」(目の前)など、見所となるスポットも多い。

めおと岩ドライブイン

f:id:YOSHI88:20220303124242j:plain景勝地夫婦岩」の目の前に建つ「めおと岩ドライブイン」で昼食。

f:id:YOSHI88:20220304100227j:plain2階の食堂では、「海鮮丼」「ブリかつ丼」など海の幸が中心で、ツアー客は「海鮮丼」の昼食。量的にはやや物足りないが、目の前には七浦海岸が広がり、絶景が楽しめる。

f:id:YOSHI88:20220303125013j:plain食事後は、近くの海岸を自由散策。

f:id:YOSHI88:20220303125225j:plain岩礁が多い典型的な隆起海岸の風景が広がる。

高瀬の夫婦岩

f:id:YOSHI88:20220305105859j:plain佐渡島で「古事記」の国生み神話に由来するとされる大きな二つの岩が「高瀬(たこせ)の夫婦岩(めおと岩)」。

f:id:YOSHI88:20220305110158j:plain向かって右が夫の岩で高さ22.6m、左側が妻の岩で高さが23.1m。七浦海岸の波を受けて寄り添うように立っている。

f:id:YOSHI88:20220305102428j:plain写真左端のハートマークのある「夫婦(めおと)岩物語」の看板によると、イザナギイザナミは国産みの後、疲れを癒やすため自らの分身となる岩を作ったとされ、その分身がこの夫婦岩であり、後の島々はこの夫婦岩から生まれたとされる。

f:id:YOSHI88:20220303125456j:plainこの周辺は「高瀬(たこせ)」と呼ばれているが、これは神様が住んでいる天上を意味する「高天原」と地上を結ぶ瀬であったためともいわれている。

f:id:YOSHI88:20220303131439j:plain夫婦岩」観光後、「トキの森公園」へと向かう途中、幸運にもトキの群れに遭遇。

f:id:YOSHI88:20220304105146j:plainトキの大群が飛び立つ瞬間も間近で観察。

トキの森公園

f:id:YOSHI88:20220303131826j:plainトキの森公園は、佐渡島の中央部に広がる国中平野の東側、新穂地区にあり、公園には「トキ資料展示館」と「トキふれあいプラザ」の二つの施設がある。

f:id:YOSHI88:20220303131731j:plain公園入口付近にポツンと佇むトキの郵便ポスト。

トキ資料展示館

f:id:YOSHI88:20220303132315j:plain「トキ資料展示館」では、トキの生態や歴史、保護の取り組みを学べるほか、保護センターのトキをケージ越しに見学することができる。

f:id:YOSHI88:20220303132346j:plainf:id:YOSHI88:20220303132407j:plainはく製標本、骨格標本、映像資料、保護増殖に関するパネルなどが展示。

f:id:YOSHI88:20220303132651j:plainトキはかつて、ほぼ日本全土で普通に見られる鳥だったが、農薬の使用、生息地の改変などの環境破壊が起こり、1952年「特別天然記念物」に1960年「国際保護鳥」に指定されたが、その頃にはすでに20羽前後にまで減少した。

f:id:YOSHI88:20220306090311j:plainその後、日本におけるトキの最後の生息地となった新穂地区(旧新穂村)にトキ保護センターが設置され、現在では保護センターを中心に島内外の施設で約200羽が飼育されている。

f:id:YOSHI88:20220303132833j:plainf:id:YOSHI88:20220303133051j:plain園内に隣接した「佐渡トキ保護センター」でトキが飛翔可能な大型ケージ内に飼育されており、佐渡の象徴「トキ」を間近で観察できる。

トキふれあいプラザ

f:id:YOSHI88:20220305221506j:plain「トキふれあいプラザ」では、飼育しているケージ内の植栽や水田等を佐渡の自然に近い状態にしており、トキがエサを食べに「観察窓」近くまで来るように工夫されている。

f:id:YOSHI88:20220303133632j:plainしかし、残念ながら、トキは奥の方の止まり木に留まったままでで、「観察窓」まで寄ってこなかった

f:id:YOSHI88:20220303133910j:plain公園入口近くにある「トキのもり売店」。

f:id:YOSHI88:20220306095128j:plainここでは、初日の夕食で飲んだ純米酒「至」を購入。

f:id:YOSHI88:20220303133846j:plain見学を終えて待っていると、丁度郵便局員が郵便物の回収に来る。このポスト、トキのオブジェとかではなく、実際に使用されているようだ(笑)。

f:id:YOSHI88:20220303134331j:plain「トキの森公園」を後にし、両津港へと向かう。

f:id:YOSHI88:20220303134424j:plain両津港15:30発の新潟港行ジェットフォイルに乗船。

f:id:YOSHI88:20220303134449j:plain帰路、佐渡方向に沈みゆく夕陽が美しい。このツアー、佐渡の夕陽の出迎えで始まり、佐渡の夕陽の見送りで終了。

f:id:YOSHI88:20220305191723j:plain16:30頃新潟港に到着。ここからタクシーに分乗して新潟駅へ。

f:id:YOSHI88:20220305191815j:plain新潟駅に到着した頃は、辺りは真っ暗。新潟駅17:44発の新幹線とき340号で帰京。

(終わりに)

佐渡は、豊かな土壌と気候に恵まれており、平野部は良質な米の栽培地として知られ、南側は温暖な気候で果物栽培も盛んで、リンゴからみかんまで収穫できる。これまで寒い雪国だと思っていたので、みかんまで栽培されていたとは驚きだった。

また、古事記の国生み伝説の残る佐渡島内各地には、自然豊かな景勝地やパワースポットなど多彩な魅力が詰まっており、今回、特に、佐渡に広がる大地の魅力を堪能できた。

巨大な一枚岩のパワースポット「大野亀」、冥途との境にあるとされる「賽の河原」、佐渡最大の海底溶岩の浸食によりできたとされる溶岩洞窟「琴浦洞窟」、トルコ・カッパドキアに似た荒涼たる風景の「尖閣湾」、天上を意味する「高天原」と地上を結ぶ瀬であったともいわれる「高瀬(たこせ)の夫婦岩」等、佐渡の自然が創り出した奇跡のアートとも言えるような絶景は素晴らしかった。

佐渡の魅力は、2〜3日では味わいきれないとされるので、今度は6月頃「大野亀」に登ってトビシマカンゾウを眺めたり、「ドンデン高原」や「加茂湖」などの今回行けなかったジオパークにも足を延ばしたいものだ。

自然と歴史が織りなす黄金の理想郷・佐渡の旅(6)

古事記」のイザナギ(夫)・イザナミ(妻)の国生み神話では、7番目に生んだ島とされ、江戸時代には金山の島として栄えた日本最大の離島、佐渡。島内各地には、自然豊かな景勝地や歴史的スポットなど多彩な魅力が詰まっており、自然と歴史が織りなす温暖な理想郷!そんな佐渡を2泊3日のツアーで楽しんできました。

f:id:YOSHI88:20211218155427j:plain

第6回[ツアー3日目]は、佐渡屈指の断崖の絶景地③「尖閣湾揚島遊園」、古代遺跡のような産業遺産④「北沢浮遊選鉱場跡」、かつて日本最大の金銀山だった⑤「史跡佐渡金山」などを回ります。

f:id:YOSHI88:20220209154714j:plain朝食は、ヘルシーな和食善。佐渡産の新鮮な海鮮物の小鉢が並んでいる。

f:id:YOSHI88:20220209154838j:plain生憎の曇り空だが、ホテルの窓から綺麗な虹が見える。

f:id:YOSHI88:20220209154912j:plain佐渡温泉「ホテル大佐渡」を後にし、断崖絶壁が連なる景勝地尖閣湾揚島遊園」へと向かう。

鬼ヶ城(おにがせ)

f:id:YOSHI88:20220209155010j:plain途中、佐渡の北側の海岸線(外海府海岸)に沿った旧・相川町にある、「鬼ヶ城」(おにがぜ)という岩。鬼が横を向いていると言うより、動物の横顔のようにも見える。

尖閣湾揚島遊園

f:id:YOSHI88:20220213152758j:plain尖閣湾」は、30m級の尖塔状の断崖が約3kmにわたって連なる海岸に広がる5つの小湾の総称。

f:id:YOSHI88:20220213153004j:plain尖閣」という名は、ネット等で調べると、北欧ノルウェーのハルダンゲル・フィヨルドの景観に似ていることから命名されたとある。

f:id:YOSHI88:20220214152125j:plain←ハンダンゲル・フィヨルド

f:id:YOSHI88:20220213153440j:plainが、しかし、「ハルダンゲル」はノルウェーの一地方の名称、「フィヨルド」は「峡湾」の意味で、「ハルダンゲル・フィヨルド」から「尖閣」という名称は導き出せない(笑)。なお、一帯は海中公園となっており、湾内を海中透視船(グラスボート)が周航している。

f:id:YOSHI88:20220213153651j:plainここ「尖閣湾揚島遊園」は、『君の名は』(昭和28年、菊田一夫原作の映画)のロケ地となったスポット。ちなみに、2016年に公開され大ヒットした新海誠監督の劇場用アニメ「君の名は。」と紛らわしいが、全く関係はない。

まちこ橋

f:id:YOSHI88:20220213173557j:plain展望台がある島(揚島)へのつながる橋の名は「遊仙橋」(ゆうせんきょう)だが、映画の吊り橋のシーンに出演したヒロイン「氏家真知子」にちなみ、「まちこ橋」とも呼ばれている。

揚島展望台

f:id:YOSHI88:20220213155543j:plain展望台からは、雄大尖閣湾(外海府海岸)が一望できる。f:id:YOSHI88:20220213155619j:plain海と空の大パノラマが広がる。

f:id:YOSHI88:20220213155932j:plain展望台から続く、この世のものとは思えない様な荒涼たる風景。

f:id:YOSHI88:20220213161342j:plainf:id:YOSHI88:20220213172209j:plain30年程前にトルコで遭遇した「カッパドキア」の風景を思い出した。

カッパドキア旅行記はこちら→

www.sarorun.jp

水族館・資料室

f:id:YOSHI88:20220213162544j:plain尖閣湾揚島遊園内にある水族館&資料室。

f:id:YOSHI88:20220213162712j:plain1階は、尖閣湾近海の海水魚を展示する水族館。2階は、資料館で松竹映画「君の名は」の写真パネルや、明治から昭和初期の民具などが展示されている。見学後は、バスで約10分の所にある北沢浮遊選鉱場跡へ。

北沢浮遊選鉱場跡

f:id:YOSHI88:20220216182139j:plain昨晩のライトアップ時に続き、日中再度訪れた「北沢浮遊選鉱場跡」。北沢浮遊選鉱場は、日本最大の金銀山「佐渡金山」で採掘された鉱石から不用鉱物を取り除く「選鉱」という鉱石処理をするために使われていた施設。

f:id:YOSHI88:20220213180024j:plain1930年代後半、戦時下の大規模な設備投資によって建造されたこの施設は1ヶ月で5万トン以上の鉱石を処理できることから、「東洋一」と謳われていた。

f:id:YOSHI88:20220216182051j:plainしかし、操業開始からわずか20年足らずでその役目を終え、現在は廃墟と化している。

f:id:YOSHI88:20220216184643j:plain階段状のコンクリートの躯体のみが残された巨大な建物の残骸には、草や苔が生い茂り、その荒廃した光景は、まるでジブリ映画の「天空の城ラピュタ」の世界観を漂わせている。

広場

f:id:YOSHI88:20220216185321j:plain広大な跡地の一部には、プールやゴルフ練習場が建設された時期もあったようだ。2010年には広場が整備され、グッドデザイン賞を受賞している。ちなみに、この跡地の入場は無料。有料化して景観をちゃんと守って欲しいものだ。

火力発電所

f:id:YOSHI88:20220213175544j:plain昨夜は幽霊屋敷のように見えたレンガ造の発電所は、日中見ると洒落た洋風の建物に思える(笑)。

シックナー

f:id:YOSHI88:20220213175805j:plain川(濁川)を挟んだ対岸には、昨夜コロッセオのようだったシックナーが見える。

f:id:YOSHI88:20220213180641j:plainシックナーは、昭和15年に完成した直径50mの泥鉱濃縮装置。濁川上流にある間ノ山(あいのやま)搗鉱場から排出された泥状の金銀を含んだ鉱石は、この装置で水分を分離する工程を経たのち、対岸へと送られた。

f:id:YOSHI88:20220213180902j:plain対岸の北沢浮遊選鉱場では、他の金銀原料と一緒に処理されて、精鉱が産出された。

工作工場群跡

f:id:YOSHI88:20220216214938j:plain濁川を挟んだ北沢浮遊選鉱場の対岸に位置し、佐渡鉱山の各施設で使用する機械部品類の製造や修理のために作られた施設。木工工場、鋳造工場、仕上工場、製缶工場、分析所など複数の施設が作られ、昭和27年まで稼働した。

鋳造工場跡

f:id:YOSHI88:20220216215942j:plain「鋳造工場」は、木型工場で組まれた木型を基に作られた鋳型に溶けた金属を流し込み、様々な種類の機械部品を製造する施設。鉄を溶かすためのキューボラ(溶銑炉)も残存しており、キューボラ手前にはコンクリート製の巨大な地下穴がある。

仕上工場跡

f:id:YOSHI88:20220216192814j:plain鋳造工場や鍛造工場などで製造された機械部品は、「仕上工場」で最終的な加工作業が行われた。

「北沢浮遊選鉱場跡」の見学後は、バスで約5分の所にある佐渡金山へ向かう。

史跡佐渡金山

佐渡金山」は、江戸から平成までの388年間に、金78トン、銀2330トンが産出され、かつては日本最大の金銀山だった。開削された坑道は蟻の巣のように広がり、総延長は約400km(佐渡~東京間)に達している。

f:id:YOSHI88:20220215165614j:plain見学コースは、「道遊坑」明治官営鉱山コース(左側)と「宗太夫坑」江戸金山絵巻コース(右側)の2つがあり、右側の江戸コースを選択する。なお、「宗太夫坑」とは江戸初期に開発された手掘り坑道の事。

f:id:YOSHI88:20220213204523j:plain人形を使って、当時の採掘作業を忠実に再現している。これは、「水上輪」と呼ばれる坑内水の汲み上げ作業。

f:id:YOSHI88:20220213204858j:plain坑内に新鮮な空気を送り込む風送り作業。

f:id:YOSHI88:20220213204942j:plain坑内の休息所で「馴染みの女にでも会いてえなぁ」と喋る、有名な「馴染みの女」おじさん!(笑)

f:id:YOSHI88:20220213205801j:plainひ押と呼ばれる手掘り坑道跡。

f:id:YOSHI88:20220213205308j:plain手掘り採掘作業。

f:id:YOSHI88:20220213210101j:plain「やわらぎ」と呼ばれる儀式で、現在も神事で行われている。

f:id:YOSHI88:20220213210509j:plain見学後は、中庭のカフェで売っている「金箔入り珈琲」で一服。

f:id:YOSHI88:20220213151338j:plain

この後、夫婦岩ドライブインで昼食し、トキの森公園でトキの見学です(続く)。

自然と歴史が織りなす黄金の理想郷・佐渡の旅(5)

古事記」のイザナギ(夫)・イザナミ(妻)の国生み神話では、7番目に生んだ島とされ、江戸時代には金山の島として栄えた日本最大の離島、佐渡。島内各地には、自然豊かな景勝地や歴史的スポットなど多彩な魅力が詰まっており、自然と歴史が織りなす温暖な理想郷!そんな佐渡を2泊3日のツアーで楽しんできました。

f:id:YOSHI88:20211218155427j:plain

第5回目は、真野地区にある「尾畑酒造」での日本酒の試飲後、大佐渡温泉「ホテル大佐渡」へ向かい、夕食の後に夜の幻想的な④「北沢浮遊選鉱場」のライトアップを観賞します。

小木地区でたらい舟と高速モーターボートに搭乗した後は、バスで海岸線に沿って北上し、真野地区にある「尾畑酒造」へと向かう。

f:id:YOSHI88:20220201111732j:plain途中、変わった岩を発見。右側の黒い岩の表面に、白い鉱物が網目模様を作っている。この辺りには潜岩(くぐりいわ)と呼ばれる同様の網目模様の岩があり、海底火山の噴火で流れ出た溶岩が海中で固まったものとされている。

尾畑酒造

f:id:YOSHI88:20220201103320j:plain尾畑酒造は、明治25年(1892)創業で、「真野鶴」は日本最高峰全国新酒鑑評会において栄えある「金賞」を2001年より通算10回の受賞。また、エールフランスのファーストクラス機内酒として搭載されるなど世界に認められた実力派の蔵元。

f:id:YOSHI88:20220201102753j:plain中に入ると、フランスの日本酒品評会「kura Master(クラマスター)」の純米大吟醸部門で最高賞のプラチナ賞を獲得した「真野鶴 純米大吟醸原酒」、関東信越国税酒類鑑評会で「優秀賞」を受賞した「真野鶴 万穂」などが誇らしげに展示されている。

f:id:YOSHI88:20220201102854j:plainまずはビデオにて酒造り工程の紹介。尾畑酒造がモットーとするのは、酒造りの三大要素と言われる米・水・人に、さらに生産地の佐渡を加え四つの宝の和をもって醸す「四宝和醸」。

f:id:YOSHI88:20220201102951j:plainプラチナ賞を受賞した酒は、肥料にカキの殻を使い、朱鷺(トキ)と暮らす郷づくり認証米として育てられた酒米「越淡麗」を使用。尾畑酒造の酒造りに対するこだわりが感じられる。

f:id:YOSHI88:20220201103030j:plain銘酒がずらりと並ぶカウンターには、3種の能面(左から「般若」「翁」「小面」(こおもて:若い女性をあらわす))が飾られ、佐渡伝統の能文化が感じられる空間になっている。

f:id:YOSHI88:20220201103149j:plain4種類の日本酒の試飲用サーバー。試飲用の小さいコップで何度でも(?)味わえる。①の「真野鶴大吟醸」は、爽やかでフルーティな香りと、華やかで軽快な味わい。②の「真野鶴純米吟醸」は、ライチをほうふつさせる味わいが口の中に含むと優しく広がり淡雪のようにスーっと消えていく。「雪空のむこう」とはなかなか洒落たネーミングセンス!

f:id:YOSHI88:20220201103240j:plainここでは、「真野鶴・純米〈鶴〉」を購入する。

f:id:YOSHI88:20220201105512j:plain尾畑酒造を後にし、大佐渡温泉「ホテル大佐渡」へと向かう。途中、佐和田(冒頭の地図参照)近くにある、真野湾に注ぐ「石田川」。

f:id:YOSHI88:20220201104704j:plain真野湾に沿って連なる松林「越の松原」。

f:id:YOSHI88:20220201104808j:plain真野湾の北側にポツンと位置する「沢根港防波堤灯台」。

佐渡温泉「ホテル大佐渡

f:id:YOSHI88:20220202172416j:plain夕刻に、高台に建つホテルに到着。全室オーシャンビューの部屋からは、窓から見える日本海と青空が大きな絵画のよう。

f:id:YOSHI88:20220202174933j:plainテーブルには、さり気なく誕生日祝いのフルーツと折鶴と色紙が置いてあった。ホテル大佐渡スタッフの心遣いが嬉しい。

f:id:YOSHI88:20220202172536j:plainホテル内のレストラン「四季彩」で夕食。

f:id:YOSHI88:20220202173040j:plain夕食会場へ行くと、テーブルの真ん中に巨大な佐渡沖産「紅ズワイガニ」が一匹ドンと配され、存在感を放っている。その周りに、佐渡名物の漁師料理「烏賊のごろた焼き」、河豚の子の粕漬け、タコ、まぐろ・甘エビ等のお刺身、磯海苔の茶碗蒸しなどが置かれて、海の幸をふんだんに使った和食となっている。

f:id:YOSHI88:20220205101923j:plain添乗員さんから頂いた手書きのバースデーカードとワインで乾杯!しかし、添乗員さんは絵が上手いなぁ〜。添乗員さんの心配りに感謝!

f:id:YOSHI88:20220202175159j:plain佐渡コシヒカリ、味噌汁、香の物、おけさ柿のシャーベット。

f:id:YOSHI88:20220202175218j:plain食後は、ラウンジ賛世渡(さんせっと)でピアノの演奏を聴きながら、「北沢浮遊選鉱場」行きの送迎バスを待つ。ピアノの背後にある大きな絵画は、「羽衣伝説」に登場する天女らしい。能面を被った天女の頭部に何故か後光が差している?

北沢浮遊選鉱場ライトアップ

f:id:YOSHI88:20220202175304j:plainホテルから車で約7分のところにある「北沢浮遊選鉱場」。もともとは銅の製造過程で行われていた技術であった浮遊選鉱法を金銀の採取に応用して日本で初めて実用化に成功し、昭和10年代の建設当時は東洋一の規模とされた。現在はコンクリートの構造のみが残る。

f:id:YOSHI88:20220202175645j:plainアニメ映画「天空の城ラピュタ」に登場する遺構を思わせるとして、観光客に人気が高い。

f:id:YOSHI88:20220202175702j:plain夜間、LED照明を使って、北沢浮遊選鉱場(国史跡)の色彩豊かなライトアップが実施される。

f:id:YOSHI88:20220202175743j:plainかつては「東洋一」ともうたわれた近代遺産の象徴が、夜の闇に幻想的に彩どられる。

f:id:YOSHI88:20220202175803j:plainライトアップのプログラムは、四季の変化に合わせて変更も予定されているらしい。

f:id:YOSHI88:20220202175628j:plain近くにある直径50mの巨大なシックナー(濃縮器)も、北沢浮遊選鉱場と共にLED照明によってライトアップされ、浮かび上がる。まるでローマのコロッセオのよう。

f:id:YOSHI88:20220202175824j:plain入り口近くにある煉瓦造りの発電所。こちらは、まるで幽霊屋敷のようだ。

翌日(3日目)は、③尖閣湾揚島遊園、④北沢浮遊選鉱場、⑤史跡佐渡金山などを回ります(続く)。