sarorunの気ままなぶらり旅

旅先での自然、遺跡、グルメについて気ままに呟きます

海外旅行回想録1990-91年〜パキスタン編(1)

1990年の年末から1991年の年始にかけてパキスタンを旅行しました。海外旅行は、トルコ、ペルーに続いて、3回目です。トルコから始まった世界遺跡巡りの旅、中近東、南米と旅して、今度は、世界四大文明発祥の地の一つとして世界史の教科書の冒頭あたりで誰もが聞いたことがあるが、実際には訪れる人は少なく、遺跡マニアが好みそうなモヘンジョ=ダロ遺跡に興味が湧き、この遺跡のあるパキスタンに決めました。

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パキスタン一周の旅10日間

トラベル世界株式会社

1990年12月29日(土)~1991年1月7日(月)

 旅の概要ですが、①インダス文明の代表的な遺跡モヘンジョ=ダロ、②パキスタン経済の中心地カラチ、③インダス文明のもう一つの遺跡ハラッパ、④カラチに次ぐパキスタン第2の都市ラホール、⑤アフガニスタンとの国境付近のペシャワール、⑥ガンダーラ遺跡の点在するスワット地方、⑦ガンダーラ王国時代に栄えた仏教遺跡タキシラ、⑧パキスタンの首都イスラマバードの順に回りました。

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第1回目は、いきなり旅のハイライト、モヘンジョ=ダロ遺跡です。

なお、現在、パキスタンに関する旅行ガイドは書店を見渡しても殆ど無く、 「地球の歩き方」も2007-2008年版以降出版されていないため、以下のブログでの説明は、当時のガイドブックの情報に基づくものです。

D32 地球の歩き方 パキスタン 2007~2008

D32 地球の歩き方 パキスタン 2007~2008

  • 発売日: 2007/07/28
  • メディア: 単行本
 

[1〜2日目]

成田15:45発のパキスタン航空PK763便で、マニラ、バンコクを経由し、約13時間掛けてカラチへ。

朝食後、カラチ空港7:00発のPK564便で、モヘンジョダロ空港に8:55到着。

なお、防犯上の理由で空港内の写真撮影は禁止されていた。 

モヘンジョ=ダロ遺跡

モヘンジョ=ダロは、エジプト、メソポタミア、中国と並ぶ世界四大文明の一つのインダス文明(BC2600〜BC1700年頃)の最大の遺跡。高度な都市計画のもとに造られた町は、広さが4km四方にも及び、往時は3万人の人々が生活していたと推定されている。

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専用バスで遺跡の入口ゲートを通過する。

遺跡は、高台にあるストゥーパ(仏塔)周辺の「城塞部」と、住居の並ぶ「市街地」に分かれている。


城塞部

f:id:YOSHI88:20201018184236j:plainバスから降りて、しばらく歩くと、城塞部の入口に到着する。正面奥には、ストゥーパが見える。

f:id:YOSHI88:20201018184505j:plain先ずは、ストゥーパを目指して、高台を登っていく。

ストゥーパ(仏塔)

f:id:YOSHI88:20201018190745j:plainストゥーパは、煉瓦でできた高さ15mの建造物。遺跡のシンボルのようだが、実はインダス文明の遺跡ではなく、モヘンジョ=ダロの廃墟の上に紀元後2〜3世紀に造られた仏教遺跡。モヘンジョ=ダロは7層もの遺跡が重なり合っているとされ、異なる時代に造られた建造物も混在してしまっている。

学院跡

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ストゥーパ近くにある学院跡。

f:id:YOSHI88:20201018184711j:plain「学院」と呼ばれているのは、ここからペンやインク壺等が発見された事に由来しているらしい。 

卵型井戸

f:id:YOSHI88:20201018185059j:plain学院近くにある卵型井戸。円形の井戸ではなく、珍しい楕円形。

沐浴場

f:id:YOSHI88:20201021130732j:plain遺跡群の中でも最大の見どころの「沐浴場」全景。

f:id:YOSHI88:20201018185956j:plain長さ12m、幅7m、深さ2.5mの巨大な浴場。北側と南側の2ヶ所に階段が設置されている。

f:id:YOSHI88:20201018185853j:plain 大人の身長よりもかなり深いため、大浴場としてではなく、「貯水池」のような別の目的に使われたのではないだろうか…。

排水溝

f:id:YOSHI88:20201018190245j:plain沐浴場の側には、巨大な排水溝がある。

f:id:YOSHI88:20201018190352j:plainこの排水溝は、大人が十分歩ける幅と高さがある。

f:id:YOSHI88:20201022104706j:plain現代でも十分に通用しそうな立派な排水溝。

f:id:YOSHI88:20201018190524j:plain 道路の端にある排水溝には、蓋がされている。

f:id:YOSHI88:20201018190817j:plain至る所に排水溝が張り巡らされており、モヘンジョ=ダロ全体が計画的に造られた高度な治水システムを持っていたと思われる。

ストゥーパ(仏塔)

f:id:YOSHI88:20201019183239j:plainストゥーパに戻って、記念撮影。

f:id:YOSHI88:20201019190450j:plainここからは、遊歩道を挟んで「市街地」を見渡せる。

f:id:YOSHI88:20201019190527j:plainこの角度からは、真下に、先程見学した「学院跡」(青い看板のある場所)が見える。

f:id:YOSHI88:20201019190631j:plain正面やや奥には、「沐浴場」(青い看板のある場所)も見える。更にその奥には、「穀物倉」がある。

f:id:YOSHI88:20201019190652j:plain整然と区画された小部屋。

 僧侶跡

f:id:YOSHI88:20201018210616j:plainストゥーパ近くにある僧侶跡。

f:id:YOSHI88:20201018210640j:plainこれも、ストゥーパと同様に紀元後2〜3世紀に造られたものかも知れない。

 

高台にある「城塞部」を見学した後は、西側にある「市街地」の住居群へ。

市街地

市街地は、 発掘者の名前を取って、DK地区、VS地区、HR地区などに分けられている。

DK地区

DK地区は、貴族や職人階級の人々が住んでいたとされている。

f:id:YOSHI88:20201018211115j:plainこの地区の家は、かなり大きく、壁も厚くて高い。モヘンジョダロビバリーヒルズか?

f:id:YOSHI88:20201018211047j:plainしかし、壁の一番下の部分は、塩害により白く変色している。遺跡周辺の灌漑水路やダム建設により地下水位が上昇し、地中の塩分が地表に現れて煉瓦を蝕んだようだ。

f:id:YOSHI88:20201018211331j:plainこの辺りは、比較的保存状態の良い家が多い。

f:id:YOSHI88:20201018211532j:plain何故か、壁の上部の方が歪んで変形している。

屋外用ごみ入れ

f:id:YOSHI88:20201018211454j:plain煉瓦で造られたごみ入れも立派。

 井戸

f:id:YOSHI88:20201018210943j:plain至る所に井戸が見られる。

f:id:YOSHI88:20201018211558j:plainこちらも、煙突ではなく、井戸。

f:id:YOSHI88:20201018211708j:plain このような高い井戸は、高層階で使用されていたようだ。

f:id:YOSHI88:20201018212304j:plainこちらは、区長の家。手前の空きスペースから見て、公共の建物の様にも思える。

f:id:YOSHI88:20201018212621j:plain珍しく壁に穴が開いている。また、壁の真ん中辺りも塩害が見られる。

大通り

f:id:YOSHI88:20201018212947j:plain市街地を貫く平坦な大通り。幅は10m近くある。かつてはインダス川までつながっていたと考えられている。

小道

f:id:YOSHI88:20201018213347j:plain低層階の家が建ち並ぶ領域では、歩行路が整然と区画されている。

 VS地区

VS地区は、農民が住んでいたとされている地区。

f:id:YOSHI88:20201018214408j:plain丸い石組みが並んでいる。何か農作業を行なっていたのだろうか。

インダス文字の標識

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インダス文字による標識で、「 HR地区→    ←VS地区     」と書いてあるらしい。

モヘンジョダロ博物館

f:id:YOSHI88:20201018214548j:plain遺跡のゲート近くにあるモヘンジョダロ博物館。

f:id:YOSHI88:20201018214457j:plain階段で2階に上がると、正面に、モヘンジョ=ダロの都市の想像図が描かれている。展示室には、発掘された土器、石器、銅製の道具、貝の装飾品、踊り子や神官の像など興味深いものが展示されていたが、残念ながら写真撮影禁止。

モヘンジョダロの滅亡について

モヘンジョ=ダロとは、「死の丘」の意味であり、1921年歴史学者が足を踏み入れるまでは、「得体の知れない死者が眠る墳丘」として地元の人々の間でも禁忌の領域だった。即ち、モヘンジヨダロは、廃虚としての現在の名前であり、繁栄していた巨大都市の往時の呼び名、正式な名前すら分からない謎の古代都市なのである。

モヘンジョ=ダロには、上下水道、井戸、風呂、ダストシュート、水洗便所まで完備されており、高度な排水システムが完備されていた。この様な高度な文明を持っていたモヘンジョ=ダロは、紀元前1800年頃、比較的短期間で滅びている。

 滅亡の理由としては、「大規模な洪水説」が通説であるが、他に、「古代核戦争説」がある。

遺跡近くの町の壁からは、異常な量の熱を一瞬にして浴びたような形跡、大量のガラス片が発見されている。ガラス片は、瞬間的な高熱で溶解した状態のまま固形化した物質であり、これは何らかの原因によって町を一瞬で焼き尽くす程の高熱が発生したことに由来するものと考えられる。しかし、この地域には、火山はなく、町を一瞬で焼き尽くす程の高熱が一体何によって作られたのか不明である。ここで、路上や井戸端等でうつ伏せや仰向けという不自然な状態で発見された人骨から通常の数十倍の放射能が検出されていることから、「古代核戦争説」が浮上する。

 また、この説を間接的に裏付けるものとして、古代インドの叙事詩マハーバーラタ」、「ラーマーヤナ」に、まるで核爆発が起こったとしか思えないような記述が残っている。また、聖書の創世記には、神の怒りに触れた町「ソドム」と「ゴモラ」が一瞬にして灰と化すシーンもある。

この「古代核戦争説」は、最近では中学社会地理の授業でも、取り上げられている。「ソドム」や「ゴモラ」のような、モヘンジョダロが繁栄していた往時の都市名が明らかになる日は来るのだろうか?


【中学社会 地理】 モヘンジョダロの考古遺跡 ~90秒ワンポイント授業~【秀英iD予備校】

 約3時間程掛けて、見どころ満載のモヘンジョ=ダロ遺跡を見学した後は、遺跡近くにあるラル・カナ村のバザール散策へ(続く)。

海外旅行回想録1990年〜ペルー編(4:最終回)

今から丁度30年前にペルーに行って、マチュピチュ遺跡、チチカカ湖、ナスカの地上絵等を見てきました。

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旅の概要ですが、①ペルーの首都リマ、②インカ帝国の首都クスコ、③空中都市マチュピチュ、④チチカカ湖畔の街プーノ、⑤砂漠上の地上絵で有名なナスカの順に回りました。 第4回目(最終回)は、リマ市内観光とナスカの地上絵です。

[6日目]

プーノのホテル、イスラ・エステベスで朝食後、専用バスにてチチカカ湖の空の玄関フリアカへ。

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f:id:YOSHI88:20200917114006j:plainフリアカ9:00頃発の飛行機で空路、アレキーパを経由し、首都リマへ。

リマ市内観光

f:id:YOSHI88:20200921152323j:plain14:00頃リマの空港(ホルヘ・チャベス空港)に到着。

f:id:YOSHI88:20200921152537j:plainリマは、太平洋岸に面した南米屈指の大都市。

f:id:YOSHI88:20200921152520j:plain車窓から見える広告。当時は、フジモリ大統領(1990〜2000年在職)の選挙ポスターも至る所に掲示されていた。

サン・マルティン広場

f:id:YOSHI88:20200916123731j:plainリマ旧市街にあるサン・マルティン広場。

f:id:YOSHI88:20200916123317j:plain ペルーの独立運動に大きな業績を残したサン・マルティンの像。

 グラン・ホテル・ボリバール

f:id:YOSHI88:20200916124840j:plain宿泊先のグラン・ホテル・ボリバール。サン・マルティン広場に面している。

サント・ドミンゴ教会

f:id:YOSHI88:20200916130847j:plainペルー最古の礼拝堂…だが、改装済みのようだ。

大統領府

f:id:YOSHI88:20200916131508j:plainペルーを制服したピサロの邸宅跡に建つ、ネオコロニアル風の建物。

リマ市庁舎

f:id:YOSHI88:20200916131904j:plainクリーム色でネオバロック様式の外観が印象的。 

博物館

f:id:YOSHI88:20200916125258j:plain宗教裁判所の博物館。かなりの行列が出来ている。

天野博物館

f:id:YOSHI88:20200916130056j:plainペルーに移住した天野芳太郎氏の博物館。旧市街から少し離れたミラフローレス地区の閑静な住宅街にある。ちょっと見たところ博物館のようには見えないが、古代インカ、プレインカのユニークな土器等が整理・陳列されている。

 リマでの夕食

f:id:YOSHI88:20200921171310j:plainクスコの地ビールクスケーニャで乾杯!

f:id:YOSHI88:20200921171414j:plainリマで人気のピルセンビールと濃厚スープ。

f:id:YOSHI88:20200921171438j:plainアルパカ肉料理。

f:id:YOSHI88:20200921171510j:plainフォルクローレ・ショーが始まる。

f:id:YOSHI88:20200921171540j:plainカラフルな民族衣装をまとったダンサーによる踊り。

f:id:YOSHI88:20200921171621j:plainダンサーは皆、紐のようなものを用いている。

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日本人も引っ張り出される(笑)。

ペルーのごはん (絵本 世界の食事)

ペルーのごはん (絵本 世界の食事)

  • 作者:銀城 康子
  • 発売日: 2008/12/01
  • メディア: 大型本
 

[7日目]

 リマのグランホテル・ボリバールで朝食後、専用バスで約4時間かけ、ナスカ近くの太平洋岸にあるピスコ空港へ。

f:id:YOSHI88:20200921172035j:plainピスコ空港からは、小型飛行機で30分程でナスカ空港へ。

f:id:YOSHI88:20200921172134j:plain小型機なので操縦席が近い。

f:id:YOSHI88:20200921172052j:plainピスコ上空。

f:id:YOSHI88:20200921172109j:plain景色が良く見える。

f:id:YOSHI88:20200921172215j:plainナスカ空港に到着。

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ナスカの地上絵

ナスカの乾燥した大地(パンパ)には、コンドル、ハチドリ、サル、宇宙飛行士、幾何学模様等、大きいものでは約300メートルにもわたる地上絵が描かれている。

f:id:YOSHI88:20200921172356j:plainここからは、5人乗りのセスナ機に乗って地上絵を見学する。全員は乗れないため、何組かに分かれ、先発隊が戻ってくるまで時間を潰す。待つこと約30分、戻って来た先発隊のメンバーは顔面蒼白で全員無言…何かとんでもない物でも見たのだろうかと、期待と不安が入り混じった気持ちになる。

f:id:YOSHI88:20200921172414j:plainこのメンバーで、いよいよ出発!

不等辺四角形

f:id:YOSHI88:20200920123620j:plain飛行場から離陸して暫くすると、不思議な幾何学的模様が見えてくる。

宇宙飛行士

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山の斜面に描かれた人物は、宇宙飛行士?宇宙人?

オウム

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かなり見にくいが、丸い頭と横方向に伸びる翼が見える。

ハチドリ

f:id:YOSHI88:20200920144231j:plain縦方向に伸びる数本の羽が分かる。トンボのようにも見える。

 コンドル

f:id:YOSHI88:20200920152221j:plain翼を広げたコンドル。翼の長さだけでも約70メートルあるらしい。

サル

f:id:YOSHI88:20200920150157j:plain見にくいが、上部には渦巻き状の尻尾が分かる。

植物と手

f:id:YOSHI88:20200920132050j:plainパンアメリカン・ハイウェイ沿いにある。左側は下側に向かって枝が放射状に広がる植物、右側は下側に指が伸びている手。よく見ると、何故か右手は4本しか指が無い。

 

各地上絵の上空に来ると、セスナ機が絵の真上で急旋回する。色々な角度から見れるようにするための配慮と思われるが、急ターンによる揺れで一気に酔い気持ち悪くなる。先発隊が戻ってきた時の顔面蒼白状態の理由が良く分かった。

世界遺産 ナスカの地上絵 完全ガイド (GEM STONE 45)

世界遺産 ナスカの地上絵 完全ガイド (GEM STONE 45)

 

 ホテル・ツーリスタス・ナスカ

f:id:YOSHI88:20200921172642j:plain地上絵見学後は、ナスカで最上級のホテル・ツリースタス・ナスカへ。

f:id:YOSHI88:20200921181803j:plainパティオには広いプールもある。

f:id:YOSHI88:20200921181742j:plain季節の花が彩りを添えている。不毛の乾燥地帯ナスカとは思えない、南国風雰囲気。

f:id:YOSHI88:20200921181827j:plainこのホテルでは、ナスカの地上絵研究に生涯を捧げたドイツ人マリラ・ライへ女史が静かに余生を送っていた。彼女は、自著「Mystery on the desert 」で、地上絵がカレンダーの役割を果たしていたことを主張。この本を購入して、マリラ・ライへ女史と記念撮影。

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サイン入りのこの本は、一生の宝物。

f:id:YOSHI88:20200921181850j:plainホテル内には、地上絵の写真も展示されている。やはり、右手は指が4本しかない(笑)。

f:id:YOSHI88:20200921181912j:plainナスカ空港から帰路へ。

f:id:YOSHI88:20200921181934j:plain太平洋上空。

f:id:YOSHI88:20200921182039j:plainリマへと戻ってくる。

f:id:YOSHI88:20200921182101j:plain路上では、土産物が所狭しと並べられている。

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f:id:YOSHI88:20200925183735j:plain日本人観光客が多いせいか、日本語の表示も結構多い。

ペルーお土産 トートバッグ 「ナスカの地上絵」
 
ペルーシュ ブラウン 750g

ペルーシュ ブラウン 750g

  • メディア: 食品&飲料
 

f:id:YOSHI88:20200921182223j:plainリマから空路、メキシコシティ経由にてロサンゼルスへ。ロサンゼルスから大韓航空KE-001便にて帰国。

(終わりに)

30年前に撮った写真をパソコンに取り込み、時系列で追っていくと、30年前にタイムスリップして旅行している気分になり、当時の旅の感動がリアルに蘇ってきて、とても楽しい体験でした。

インカ人による、加工した石の面を巧みに合わせ、カミソリの刃一枚も入らないような精巧な石組みの技術は素晴らしいものが有りました。一方で、日本人も、昔から宮大工は、木材に切り込みを入れて嵌め込むことにより、釘や金物を使わずに木組みの手法によって神社や仏閣などを造ってきました。両者は、材料こそ違えど、相通じるものが有るように思えます。

元日本駐在ペルー大使フランシスコ・ロワイサ氏は、インカ帝国の皇帝は日本人だとする日本人ルーツ説を唱え、 「Manko Kapa」を執筆し、チチカカ湖の語源は、父(ちち)、母(はは)だと言及しています。また、インカ帝国の初代皇帝マンコ・カパックチチカカ湖に降臨したという伝説もあります。

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チチカカ湖ウロス島の島民の顔がどことなく日本人と似ていたり、タキーレ島の葦で造った家が日本の家屋の形と似ていたのも、当時は単なる偶然と思っていましたが、改めてペルー旅行を振り返ってみて、今は日本人ルーツ説により色々な点が一つの線につながってくるように思っています。

「sarorunの気ままなぶらり旅」では、これからも昔の遺跡旅行を今の視点で振り返ってみたいと思っております。これからもよろしくお願いします。

海外旅行回想録1990年〜ペルー編(3)

今から丁度30年前にペルーに行って、マチュピチュ遺跡、チチカカ湖、ナスカの地上絵等を見てきました。

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旅の概要ですが、①ペルーの首都リマ、②インカ帝国の首都クスコ、③空中都市マチュピチュ、④チチカカ湖畔の街プーノ、⑤砂漠上の地上絵で有名なナスカの順に回りました。 第3回目は、④プーノ(チチカカ湖)です。

[4日目]

クスコ早朝発の高原列車に乗り、10時間程度掛けて、のんびりとチチカカの街プーノへ。

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f:id:YOSHI88:20200909122622j:plain車窓からは、牧歌的な風景がどこまでも続く。

f:id:YOSHI88:20200909122649j:plain 途中、シクアニ駅(標高3552メートル)で休憩。

f:id:YOSHI88:20200909122709j:plain早速、子供達がお菓子や民芸品を売りに来る。

f:id:YOSHI88:20200909123419j:plain電車がどんどん高度を上げていくにつれ、景色も荒々しい風景に。

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f:id:YOSHI88:20200909124219j:plain最高地点の峠にあるラ・ラヤ駅(標高4335メートル)で休憩。

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f:id:YOSHI88:20200909123529j:plain勇姿を表すアンデスの山々。

f:id:YOSHI88:20200909123555j:plainのどかな午後のひととき。 

f:id:YOSHI88:20200909123654j:plainようやく、チチカカ湖が見えてきた。

f:id:YOSHI88:20200909123625j:plain夕暮れ時の神秘的で幻想的なチチカカ湖

f:id:YOSHI88:20200909123811j:plainチチカカ湖は、富士山よりも高い標高3812メートルにあり、琵琶湖の約12倍の大きさ。ケチュア語で「チチ」はピューマ、「カカ」は石を意味しているらしい。が、しかし、インカの祖先は日本人であり、チチカカ湖はチチ(父)、カカ(母)の意味だという説もあるようだ。

チチカカ湖畔の街プーノに到着後、チチカカ湖に浮かんだエステベス島に建つホテル、イスラ・エステベスへ。

 [5日目]

f:id:YOSHI88:20200911151439j:plain早朝、部屋から眺めるチチカカ湖の景色も素晴らしい。

f:id:YOSHI88:20200911145153j:plain滞在した白亜のホテル、イスラ・エステベスス。

f:id:YOSHI88:20200911151755j:plainホテル前では、土産用のカラフルな織物が並んでいる。

f:id:YOSHI88:20200911161557j:plainホテル近くの桟橋から、ボートでトトラ(葦)の島、ウロス島へと向かう。 

f:id:YOSHI88:20200911160707j:plainチチカカ湖の湖面は濃い青色で、神秘性を増幅させている。

f:id:YOSHI88:20200911160733j:plainウロス島の展望台が見えてきた。

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ウロス島

f:id:YOSHI88:20200911164249j:plainウロス島に上陸。クッションの上を歩いている様な、不思議な感覚。

f:id:YOSHI88:20200911164313j:plainウル族のおばちゃん達がインカ独特の織物でお迎え。

f:id:YOSHI88:20200911164332j:plainトトラで作った家。

f:id:YOSHI88:20200911164402j:plain展望台に登ってみる。

f:id:YOSHI88:20200911164422j:plain展望台から観ると、結構、住居が密集している。

f:id:YOSHI88:20200911164444j:plain島はトトラだらけ。

f:id:YOSHI88:20200911155211j:plain島の女の子。

f:id:YOSHI88:20200911155301j:plain我々とルーツは同じ?

タキーレ島

f:id:YOSHI88:20200912105536j:plain子供達の漕ぐバルサ(トトラの船)に乗って、タキーレ島へ。

f:id:YOSHI88:20200912110127j:plain日本の家のような屋根。

f:id:YOSHI88:20200912105851j:plain家の中は、意外にもコーラの瓶だらけ(笑)

f:id:YOSHI88:20200912110307j:plainチチカカ湖で生息する魚。

f:id:YOSHI88:20200912110330j:plainトトラのクッションは居心地良さそう。

f:id:YOSHI88:20200911144435j:plainトトラを束ねた船、バルサ

f:id:YOSHI88:20200912111010j:plain添乗員(真ん中の女性 )が持っているトトラ。皮を剥いてかじると、ほんのり甘く、おやつにもなる。

一旦ホテルへと戻って昼食後 、専用バスで、プーノから約30キロ離れたシユスタニの遺跡へと向かう。

f:id:YOSHI88:20200911150003j:plain湖と山の町、プーノ。

f:id:YOSHI88:20200911144303j:plainリャマ、アルパカの群れ。

シユスタニの遺跡

シユスタニの遺跡は、プレ・インカ時代のチュウラホン文化からインカ時代にかけて造られた石塔墳墓群。ウマヨ湖に突き出た半島の丘の上にある。入場口から遺跡までは多少距離があり、丘を登っていく。

f:id:YOSHI88:20200912151858j:plain蒼く輝くウマヨ湖。神秘的で鏡のような美しさに目を奪われる。

f:id:YOSHI88:20200912121525j:plain丘の途中にある、渦巻き模様が彫られたパワーストーン。石に方位磁石を近づけると針がグルグル回るらしい。

f:id:YOSHI88:20200912121636j:plain丘の上は広場になっており、チュルパと呼ばれる円筒状の墳墓が30個以上も点在している。

f:id:YOSHI88:20200912121543j:plain比較的大き目の保存状態良好なチュルパ。

f:id:YOSHI88:20200912152637j:plain東側の最下段には、小さな窓(入り口)があり、冬至の日には、太陽の光がきっちりと差し込むようになっている。

f:id:YOSHI88:20200912152302j:plain

f:id:YOSHI88:20200912152325j:plainどのチュルパにも、東側に小さな窓が開いている。

f:id:YOSHI88:20200912121603j:plain最大級のチュルパ。高さ約12メートル、周囲が約7メートルもある。

f:id:YOSHI88:20200912121619j:plain残念ながら、反対側は外壁が崩れて内部が露呈している。雷などの自然現象によるものか、あるいはスペイン軍により副葬品目的で破壊されたのか。

f:id:YOSHI88:20200912121657j:plain丘の裏手側には、ウマヨ湖の真ん中に、テーブルのような平らな頂きを見せるウマヨ島が見える。UFOの発着陸場所のようだ。
f:id:YOSHI88:20200912121718j:plain作りかけの角柱型チュルパ。

f:id:YOSHI88:20200912121739j:plain不思議な形の石が散乱している。ストーンサークルの様にも見える。

f:id:YOSHI88:20200912153037j:plain丘を下り、専用バスへと向かう。夕暮れ時とも相俟って物寂しげな感じ。

f:id:YOSHI88:20200912153059j:plainプーノのホテルへと戻る。途中の風景も何だか寂しさを感じさせる。

次回は、リマ市内観光とナスカの地上絵です(続く)。

海外旅行回想録1990年〜ペルー編(2)

今から丁度30年前にペルーに行って、マチュピチュ遺跡、チチカカ湖、ナスカの地上絵等を見てきました。

f:id:YOSHI88:20200905092720j:plain

旅の概要ですが、①ペルーの首都リマ、②インカ帝国の首都クスコ、③空中都市マチュピチュ、④チチカカ湖畔の街プーノ、⑤砂漠上の地上絵で有名なナスカの順に回った後、①リマに戻りました。 第2回目の今回は、②クスコ〜③マチュピチュです。

[3日目]

 クスコのホテルで朝食後、バスで、インカ最大の要塞オリャンタイタンボへと向かう。

f:id:YOSHI88:20200826230947j:plain途中、クスコの中心アルマス広場を通る。

f:id:YOSHI88:20200826231224j:plainアルマス広場の南側に面して建つバロック様式のラ・コンパニーア・デ・ヘスス教会。

f:id:YOSHI88:20200827001312j:plain高台からクスコ市街を一望。

f:id:YOSHI88:20200827002250j:plainf:id:YOSHI88:20200827002310j:plain移動中、不思議と懐かしさを感じさせる田園風景が広がる。 

オリャンタイタンボ

f:id:YOSHI88:20200826233111j:plain「オリャンタイ」とは、遺跡を建造した第9代皇帝パチャクティに仕えていた将軍の名に由来する。 また、「タンボ」とはケチュア語(インカ時代の公用語)で旅籠の意味。

f:id:YOSHI88:20200826233226j:plainアンデネス(段々畑)横の階段を登っていくと、左手に10個の窓の神殿らしき建造物が見える。

f:id:YOSHI88:20200826233017j:plainオリャンタイタンボ正面の山。 山の中腹よりやや右下には、穀物倉庫と思われる建物がある。

f:id:YOSHI88:20200827130600j:plainオリャンタイタンボからは、旧式のディーゼル列車のアウトバゴンでマチュピチュへと向かう。

f:id:YOSHI88:20200828163513j:plain

f:id:YOSHI88:20200828163353j:plain線路の横を流れるウルバンバ川に沿って走行中、山肌が続く。

f:id:YOSHI88:20200828163601j:plain1時間程で、マチュピチュ遺跡の下にあるプエンデ・ルイナス駅に到着。小型バスに乗り換え、つづら折りの坂道を400メートル登って、マチュピチュ遺跡を目指す。ここまで乗ってきた列車が真下に小さく見える。

マチュピチュ

小型バスを降り、 しばらく徒歩で坂道を登っていく。少し息が上がった頃、突然、視界が開け、マチュピチュ遺跡の全貌が目の前に飛び込んできた!この時の感動は、30年経った今でも忘れる事が出来ない。ハイラム・ビンガムが未知なるマチュピチュ遺跡を発見した時の感動のようなものだろうか?とにかくこの感動を味わえただけでも、はるばる地球の裏側にやって来た甲斐があったと思った。

f:id:YOSHI88:20200828120855j:plain遺跡の南端の一段高い場所(見張り小屋)からの眺望。

市街地入口

f:id:YOSHI88:20200828130918j:plain市街地入口を通り、いよいよ遺跡の内部を見学する。(なお、以下の見出しの名称は、ガイドブックで実際に用いられているものです。)

太陽の神殿

f:id:YOSHI88:20200828122424j:plainマチュピチュ遺跡で、唯一曲線状の美しい建物。

陵墓

f:id:YOSHI88:20200828122248j:plain太陽の神殿の真下にある陵墓。自然の洞窟を利用しており、中には石積みや棚が見られる。儀式が行われていたのだろうか。

王女の神殿

f:id:YOSHI88:20200828123058j:plain太陽の神殿の左手前の2階建の建物。1階と2階に部屋があり、外側に階段が付いている。太陽の神殿の下は陵墓だったが、王女の神殿は二世帯住宅?


 太陽の神殿裏の壁

f:id:YOSHI88:20200828123709j:plain太陽の神殿の裏側に回ると、マチュピチュで最も美しいと言われる壁が続く。

f:id:YOSHI88:20200828123727j:plain同じサイズの石が精密に組み合わされた手法は、クスコにあったサント・ドミンゴ教会(太陽の神殿)の石組みのようだ。

水汲み場

f:id:YOSHI88:20200828121356j:plain

f:id:YOSHI88:20200828121905j:plain太陽の神殿エリアから下の居住区にかけて、16もの水汲み場がある。

段々畑

f:id:YOSHI88:20200828121820j:plain周りには、急斜面に設けられた段々畑(アンデス)が広がる。

王の別荘

f:id:YOSHI88:20200828124053j:plainインカ王がマチュピチュを訪れた際に利用した建物。太陽の神殿エリアと階段を挟んで向き合った場所にある。

f:id:YOSHI88:20200828124432j:plain 屋根の無い部屋もあり、天体観測にも用いられた模様。何故か、上部の石組みの方が雑な感じ(笑)。

f:id:YOSHI88:20200828124715j:plain王の別荘から見た居住区エリア。

f:id:YOSHI88:20200828124732j:plain王の別荘から見た技術者の居住区。

石切り場

f:id:YOSHI88:20200828125029j:plain大きな石が散らばっている石切り場にある、奇妙な穴が規則正しく形成された石。

f:id:YOSHI88:20200828125446j:plain石切り場の隣にある 神殿エリア。重要な建造物が集中している。

見張り小屋

f:id:YOSHI88:20200828144329j:plain 記念写真撮影のため、一旦、高台にある見張り小屋まで戻る。

f:id:YOSHI88:20200828144936j:plainマチュピチュ遺跡の全景。

f:id:YOSHI88:20200828144956j:plain ユーミンと同じ場所で記念撮影。これで、先ずはツアーの目的達成!(笑)

ワイナピチュ

f:id:YOSHI88:20200828145028j:plain背後の山ワイナピチュ。頂部に階段が見える。今回は登れなかったが、次回は是非山頂まで行って遺跡を見下ろしたいと思った。


儀式の岩

f:id:YOSHI88:20200828144411j:plain見張り小屋近くにある不思議な岩。尖った部分は山の稜線を形どったようにも見える。

居住区エリア

f:id:YOSHI88:20200828145741j:plain見張り小屋から見て、右側手前の居住区エリア。


カリャンカ(訪問者の休憩所)

f:id:YOSHI88:20200828151536j:plain市街地入口近くにある、マチュピチュに食料などを持ってきた訪問者の休憩所。

3つの窓の神殿

f:id:YOSHI88:20200828151606j:plain神殿エリアにある大きな3つの窓のある神殿。窓は、太陽の登る東側を向いている。 

主神殿

f:id:YOSHI88:20200828151634j:plainマチュピチュでも最大級の巨石を使った建物。右側がやや崩れている。


インティワタナ(日時計)

f:id:YOSHI88:20200828152734j:plain神殿エリアで最も高い場所にある。「インティ」はケチュア語で太陽、「ワタナ」は結ぶ、つなぐの意味。つまり、「インティワタナ」とは、太陽をつなぎ留める石の事。一枚岩で作られており、突き出した角柱の4つの角は東西南北を向いている。

聖なる石

f:id:YOSHI88:20200828153136j:plain神殿エリアからさらに北側に進んだ、マチュピチュ遺跡の北端にある。一枚の巨石を加工して山に形どってある。

f:id:YOSHI88:20200828153225j:plain背後には、ワイナピチュが目前に大きく迫っている。

f:id:YOSHI88:20200828154543j:plain聖なる石の辺りからの風景。右手には、インティワタナのあった神殿エリア。

技術者の居住区

f:id:YOSHI88:20200828155433j:plain左手には、技術者の居住区。メイン広場を挟んで神殿エリアと向き合っている。


2階建ての家

f:id:YOSHI88:20200828160317j:plain技術者の居住区を通り抜け、さらに南に進んた一般居住区にあり、マチュピチュ遺跡のほぼ東端に位置する。斜面を利用して作られており、一階部分が住居。

コンドルの神殿

f:id:YOSHI88:20200828160739j:plain2階建の家からさらに 南に進むとある、神に祈りを捧げる神殿。凹みにはミイラが配置され、手前の台には捧げ物が置かれたようだ。

ハイラム・ビンガムロードとグッバイボーイ

f:id:YOSHI88:20200828161128j:plain マチュピチュ遺跡を一周して一通り見学後、小型バスに乗って何重にも折り返すつづら折りのハイラム・ビンガムロードを下る。そこに突如現地の少年が一人現れ、「サヨナラ〜」と日本語で言ってバスから見えなくなるまでずっと手を振っている。今時珍しい少年がいるものだな、と思ったが、何とこの少年、暫くしてまたバスの前方に現れ、「サヨナラ〜」と手を振っている。どうやら、つづら折りの道の間の急斜面を降りて先回りしていたようだ。バスの中では大歓声が上がり、一躍人気者に!!その後もこの少年は何度も現れ、結局、プエンデ・ルイナス駅まで付いてきた。そして、バスから降りたツアー客にチップを要求。何だ、これが目当てだったのか!詐欺師とは言わないまでも、ずる賢い少年よ!(笑)まあ、地形を利用し身体を張って付いてきたことは認めるが…あれから30年、この少年は今、どんな大人になっているのだろう?(続く)

海外旅行回想録1990年〜ペルー編(1)

初めての海外旅行(トルコ)から約1年後、運良く長期間の春休みが取れることになりました。どうせなら、この際、滅多に行けない場所へ行こうと思い、アフリカか南米辺りを考えていた所、書店でたまたま、マチュピチュ遺跡へ行ったユーミンが写っている雑誌を見つけました  (下の雑誌  エスクァィア日本版別冊 January 1990 No.2 TIERRA 松任谷由美、南米冒険記。1990年1月5日発売、ユーミンが若い!(笑))。この雑誌を読んで、自分もユーミンのようにこの場所で写真を撮りたいと思い、ペルーへ行くことに決めました。

f:id:YOSHI88:20200814130013j:plain

平成2年3月11日(日)〜3月19日(月)

チチカカ・インカ・ナスカ9日間(近畿日本ツーリスト)

f:id:YOSHI88:20200905092720j:plain
旅の概要ですが、①ペルーの首都リマ、②インカ帝国の首都クスコ、③空中都市マチュピチュ、④チチカカ湖畔の街プーノ、⑤砂漠上の地上絵で有名なナスカの順に回った後、①リマに戻りました。 初回は、①リマから②クスコです。

B23 地球の歩き方 ペルー ボリビア エクアドル コロンビア 2020~2021

B23 地球の歩き方 ペルー ボリビア エクアドル コロンビア 2020~2021

  • 発売日: 2019/12/12
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

[1日目(3/11)]

成田14:55発  大韓航空KE-002便にて、 空路、ロサンゼルス経由でペルーの首都リマへ。なお、前回一緒だった友人は同行せず、今回は一人でのツアー参加。

国際日付変更線通過し、ロサンゼルス7:20着

ロサンゼルス11:55発AR-385に乗り継いで、リマへ(メキシコシティ経由)。

f:id:YOSHI88:20200817141350j:plainリマ2:00(3/12)着。

丸1日かけてようやく地球の裏側に到達。現地時間では深夜。空港から宿泊先のホテル(グラン ホテル ボリーバル)へ直行。

疲労困憊状態でホテルに到着。直ぐにでも横になりたかったのだが、事もあろうに部屋にはベットが無く、至急手配してもらう。

[2日目(3/12)]

7:00発のクスコ行きの便に乗るため、早朝、慌しくホテルを出発。

ホテルでは一人部屋で熟睡してしまい、いきなりロビー集合時間に遅れてしまう…以後、添乗員に目を付けられる羽目に(笑)。

クスコ

f:id:YOSHI88:20200817141956j:plain空路1時間程でクスコに到着。標高3310メートルで、かなりの高地にある。

f:id:YOSHI88:20200817142252j:plain空港からサボイ インターナショナル ホテルへ直行。

f:id:YOSHI88:20200817142612j:plainホテル到着後、コカ茶(マテ茶)のサービス。高山病に効くらしい。 

f:id:YOSHI88:20200817143211j:plain部屋からの風景。のんびりとしたクスコの日常が垣間見える。

f:id:YOSHI88:20200817143610j:plainようやく昼食。だが、注文したインカコーラの瓶の中に何やら黒っぽい異物が…何とハエの死骸が混入!どうやら、栓を開ける前から入っていたようで、瓶ごと取り換えてもらう。これがペルーか?!しかし、リマからトラブル続き(苦笑)…   でも、インカコーラは、炭酸は弱めで旨く、クセになる味。

昼食後、クスコ市内観光へ。 

太陽の神殿(サント・ドミンゴ教会内)

f:id:YOSHI88:20200819132050j:plainサント・ドミンゴ教会入口。スペイン人が造った教会だが、元はと言うとインカ時代のコリカンチャ=太陽神殿。スペイン人がインカ人が造ったコリカンチャの土台の石組を利用し、その上に教会を建てたもの。

f:id:YOSHI88:20200819101247j:plain広い中庭のあるコロニアルスタイルの教会建物。

f:id:YOSHI88:20200819101848j:plain中庭にある井戸。ひとつの石をくり抜いて造られている。

f:id:YOSHI88:20200819102651j:plain教会の回廊内に飾られた宗教画。

f:id:YOSHI88:20200819102711j:plain回廊の周囲には、インカ時代の石組みが復元されている。

f:id:YOSHI88:20200819102551j:plain建物内部に残されている石組みはどれもよく磨き上げられており、パズルのピースを組み合わせるように巨石が嵌め込まれている。カミソリの歯一枚通らないといわれる緻密で正確な石組みの技術と意匠的な美しさには、感嘆する他にない。

f:id:YOSHI88:20200819102521j:plain虹の神殿にある台形の飾り窓(壁龕、ニッチ)。この神殿にある台形の窓は、その隣の部屋(犠牲の部屋)とそのもう一つ隣の雷の神殿にある、台形の窓と全く同じ形で全く同じ高さになっている。

f:id:YOSHI88:20200819102633j:plain壁は垂直ではなく、斜めに(内側に10度)傾いている。これと凹凸を利用した石組みとが相まって耐震構造になっているらしい。1950年にクスコで起きた大地震の際、コロニアル建築は被害を被ったが、インカの建築物は地震でもびくともしなかったというのは、あまりにも有名な話。

サクサイワマン城塞跡

f:id:YOSHI88:20200821161203j:plainサクサイワマン城塞跡は、海抜3700メートルで、富士山頂とほぼ同じ標高に位置している。このためか、添乗員がここで高山病でダウンしてしまうトラブル発生!以後、現地ガイドのみの案内に。

f:id:YOSHI88:20200821161147j:plainクスコを守る砦で、巨石を積んだ3段の石垣が360メートルも続いている。なお、サクサイワマンとは、ケチュア語で「お腹がいっぱいになったハヤブサ」を意味している。

f:id:YOSHI88:20200821161235j:plainサクサイワマンから見るクスコの街。

f:id:YOSHI88:20200821161309j:plain城塞の上部に残るムユック・マルカ(丸い塔)の基底。

ケンコーの遺跡

f:id:YOSHI88:20200821161456j:plain「ケンコー」の名前は、ケチュア語のジグザグ、を意味する言葉に由来している。宗教施設のようだ。

f:id:YOSHI88:20200821161519j:plain生贄の台。ここでもマヤ文明のように生贄の儀式が行われていたのだろうか?

f:id:YOSHI88:20200821161655j:plainジグザグ状の溝。

f:id:YOSHI88:20200821161714j:plainピューマ岩。これを囲んで宗教的な儀式が行われたと考えられる。

タンボマチャイ

f:id:YOSHI88:20200821161832j:plain標高3750メートルにあるインカ時代の沐浴場。1年中同じ水量が流れ続けているが、泉の水源は分かっていない。

フォルクローレ・ショー

クスコのレストランでフォルクローレ・ショーを見ながらの夕食。f:id:YOSHI88:20200820185653j:plain定番の哀愁漂う「コンドルは飛んでいく」。

f:id:YOSHI88:20200820185715j:plainピスコサワー(カクテル)。ピスコ(ブドウを蒸留した焼酎)に、卵の白身、レモン、砂糖を混ぜてシェイクし、カネラ(肉桂)の粉を入れたもの。甘くて飲みやすいが、アルコール度が高いため、要注意。

f:id:YOSHI88:20200820185736j:plain

f:id:YOSHI88:20200820185755j:plain

f:id:YOSHI88:20200820185817j:plainアンティクーチョ (牛のハツの串焼き)。

f:id:YOSHI88:20200820185904j:plain

f:id:YOSHI88:20200820185947j:plain民族舞踊には、くるくると回転する踊りがつきもの。

f:id:YOSHI88:20200820190047j:plainフォルクローレの音色は、雄大アンデスの山々の景色を想起させ、何故か懐かしい気持ちにさせられる。

f:id:YOSHI88:20200820190122j:plain

f:id:YOSHI88:20200820190141j:plain

クスコの夜も更けて…。明日は、旅のハイライト、マチュピチュへ(続く)。

海外旅行回想録1989年〜トルコ編(6:最終回)

今から30年程前で、昭和から平成に変わったばかりの頃、初めての海外旅行でトルコへ行ってきました。f:id:YOSHI88:20200620184615j:plain

今回(最終回)は、現首都の⑧アンカラと、ビザンチンオスマン帝国の都①イスタンブール(ブルーモスク、アヤソフィアトプカプ宮殿、ガラタ橋等)です。

[7日目]

午前、カッパドキアを後にしてアンカラへと向かう。

 途中、広大な塩水湖のドゥズ湖を通過する。f:id:YOSHI88:20200722153124j:plainf:id:YOSHI88:20200722153146j:plain面積は琵琶湖の5倍もある。f:id:YOSHI88:20200722153216j:plain白く見える所が塩。

 アンカラ

午後アンカラ市内観光。

f:id:YOSHI88:20200722161248j:plainアタチュルク廟。トルコ建国の父ムスタファ・ケマル・アタチュルクが眠る霊廟。

f:id:YOSHI88:20200722163610j:plain建物を取り囲むようにある回廊は博物館になっている。

f:id:YOSHI88:20200722164119j:plainここは、アンカラ市街全体を見渡せる、アンカラ屈指の眺望スポット。

f:id:YOSHI88:20200722164231j:plainアナトリア文明博物館。人類史上最初に鉄製の武器を使用したヒッタイト王国の展示品等がある。

f:id:YOSHI88:20200722165801j:plain近代的なアンカラ市内。

夜、空路イスタンブールへ。

[8日目]

イスタンブール

午前、イスタンブール市内観光。

f:id:YOSHI88:20200722171908j:plainイスタンブール新市街。ヨーロッパ風の街並みが広がっている。

f:id:YOSHI88:20200722172004j:plainタキシム広場。新市街の交通の中心。
f:id:YOSHI88:20200723172319j:plain旧市街と新市街とを隔てる金角湾。対岸に見えるのが、旧市街のイスラム教モスク。

f:id:YOSHI88:20200724170021j:plain新市街側から旧市街側へ。ガラタ橋近く。

f:id:YOSHI88:20200723172035j:plain旧市街側の主要駅のシルケジ駅。

ヒッポドローム

イスタンブールの観光の中心地スルタンアフメット地区(旧市街)にある、ローマの大競技場跡の広場。2本のオベリスクが残っている。

f:id:YOSHI88:20200724181256j:plainテオドシウス1世のオベリスク。エジプトのカルナック神殿から運ばれた。柱には、ヒエログリフが刻まれている。

f:id:YOSHI88:20200724181315j:plain台座には、このオベリスクがどのように建てられたかが描かれている。

f:id:YOSHI88:20200724181337j:plainコンスタンティヌス7世のオベリスク。元々は金メッキされた青銅製の板で覆われていたが、現在は石積みの中核部分が現存している。


ブルーモスク(スルタンアフメット・ジャーミィ)

f:id:YOSHI88:20200723160616j:plainアフメット1世の命により1616年に完成。トルコを代表するイスラム寺院で、旧市街の観光の中心。

f:id:YOSHI88:20200723160645j:plain頭上を飾るドームの美しいモザイクタイル。

f:id:YOSHI88:20200723160708j:plainステンドグラスも華やか。


アヤソフィア

f:id:YOSHI88:20200723163047j:plain西暦330年にローマ帝国コンスタンティヌス1世により建設され、15世紀までギリシア正教大本山として君臨。1453年にコンスタンティノープル陥落後は、イスラム教のモスクに改修。1934年以降は、無宗教の博物館として一般公開されている。

f:id:YOSHI88:20200723163117j:plain入口入ってすぐの内拝廊にある「皇帝の門」のモザイク画。

f:id:YOSHI88:20200723163301j:plain幼いキリストを抱いた聖母マリアに献上するユスティニアヌス1世(左)とコンスタンティヌス1世

f:id:YOSHI88:20200723163322j:plainベルガマの大理石で作られた大きな壺。

f:id:YOSHI88:20200723163352j:plain円形ドームに覆われた広大な内部空間。

f:id:YOSHI88:20200723163519j:plainイスラム教時代に設置された直径7.5mの円盤。全部で8種類ある。


f:id:YOSHI88:20200723163804j:plain聖母マリアの手形。窪みに親指を入れて、あとの4本指の指先で柱から離すことなくぐるりと円を描けたら、願いが叶うと言われている。

トプカプ宮殿

f:id:YOSHI88:20200724213252j:plainボスフォラス海峡と金角湾、イスタンブールの街全体を見渡すことができる小高い丘の上にあり、コンスタンティノープルを制圧したメフメット2世によって建てられた。

f:id:YOSHI88:20200724213409j:plainf:id:YOSHI88:20200724213453j:plain東洋陶磁展示館にある陶磁器。

f:id:YOSHI88:20200724215238j:plainf:id:YOSHI88:20200724213650j:plain宝物館にある展示物。

ナイトクラブ

f:id:YOSHI88:20200725014937j:plain最後の晩餐は、イスタンブールのナイトクラブ。

f:id:YOSHI88:20200725015258j:plain迫力満点の本場ベリーダンス

f:id:YOSHI88:20200725015335j:plainフォークダンス

f:id:YOSHI88:20200725015359j:plain歌手による生演奏。

f:id:YOSHI88:20200725020340j:plain宿泊先のエタップ・マルマラ・ホテルに戻ってきたのは深夜。

[9日目]

朝食後、出発までフリータイム。

友人と市内観光に出掛ける。

f:id:YOSHI88:20200725020927j:plainイスティクラル通り。新市街の高台にあるタクシム広場から延びるイスタンブールの目抜き通り。

f:id:YOSHI88:20200725021024j:plainガラタ塔。トンガリ帽が一際目立つ、イスタンブールランドマークタワー

f:id:YOSHI88:20200725102640j:plainガラタ塔の展望台からの眺望。金角湾で隔てられた新市街と旧市街とを結ぶガラタ橋。

f:id:YOSHI88:20200725102733j:plain金角湾の左側には、ボスフォラス海峡が広がっている。

f:id:YOSHI88:20200725102710j:plainガラタ橋の右側には、新市街と旧市街とを結ぶもう一つの橋のアタチュルク橋。

f:id:YOSHI88:20200725102759j:plain実際に、ガラタ橋に行ってみる。

f:id:YOSHI88:20200725102903j:plainゆっくりと景色を眺めている人、釣りをしている年配の人、近場で取れた魚を挟んだサンドイッチを食べる若者等、色んな人がそれぞれ楽しんでおり、生活感と活気に溢れている。

f:id:YOSHI88:20200725102939j:plainイスタンブールで連泊したホテル・エタップ・マルマラを後にし、イスタンブール18:00発東ドイツ航空IF9387便にて東ベルリン経由、帰路につく。

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(終わりに)

今回、約30年前の旅行中に撮影した写真、当時のガイドブックを参考にしてトルコ旅行を振り返ってみました。

撮った写真が何だったか分からないものも結構あって、ガイドブックの写真と照合したり、ネットで調べたりしていると、当時の記憶が昨日の事のように思い出されたり、新たな発見が有ったりと、正に青春時代の宝物を再発見するようなワクワクした体験を味わうことができました。

ただ、遺跡の写真ばかりで、トルコ料理や食事の写真、土産物の写真が一枚も無い(笑)。

旅行前は、トルコについての予備知識は全くなく(カッパドキアも知らなかった)、旅行会社の人から勧められなければ、一生トルコへは行く機会が無かったかもしれません。正直言ってそれ程期待していなかった初の海外旅行が遥かに想像を超えた体験だったことから、これがトリガーとなって、その後、ペルー(インカ帝国マチュピチュ)、パキスタン(インダス文明モヘンジョダロ)、ギリシア(パルテノン神殿エーゲ海クルーズ)、スペイン(アルハンブラ宮殿)、メキシコ(マヤ遺跡)、カンボジア(アンコールワット)、エジプト(クフ王のピラミッド、スフィンクス)等を旅することに…

また、改めてこれらの旅行の回想録をアップしたいと思っています。                                    以上。

海外旅行回想録1989年〜トルコ編(5)

今から30年程前で、昭和から平成に変わったばかりの頃、初めての海外旅行でトルコへ行ってきました。f:id:YOSHI88:20200620184615j:plain

今回は、地下都市、不思議なキノコ岩による奇景等、この世の物とは思えないような不可思議空間⑦カッパドキアです。

 [6日目]

朝食後、コンヤを出発してアナトリア半島を東進し、カッパドキアへ。

f:id:YOSHI88:20200715105152j:plain途中、どこまでもこのような光景が続く。アナトリア一帯の大地を形成する火成岩の岩石が多く、いかにも痩せた大地。

f:id:YOSHI88:20200715105125j:plain羊の大群か?

カッパドキア近くで、先ずキャラバンサライ(隊商宿)に立ち寄る。 

スルタンハヌ・キャラバンサライ

f:id:YOSHI88:20200715104601j:plain1229年、当時の首都コンヤと主要都市アクサライを結ぶ幹線上に建てられた隊商宿。

f:id:YOSHI88:20200715104648j:plain

f:id:YOSHI88:20200715104707j:plain中庭には礼拝所があり、周囲を囲む回廊式の建物には、食堂のほかハマム、宿泊施設、ラクダをつなぐ場所等がある。

f:id:YOSHI88:20200715104831j:plain地元の子供たち。今は、どうしているのだろう。

地下都市カイマルク

カッパドキアにある地下都市で、地下8階まであり、長期間にわたって生活するための施設が整っている。また、この辺りには、他にも多くの地下都市があって、ネットワーク状に繋がっているとも言われている。一般には、アラブ人の迫害から逃れたキリスト教徒が使用したとされているが、太古の昔アナトリア高原で核戦争が起こった際に、ヒッタイト人の一部が核シェルターとして使用したという都市伝説的な説もある。

f:id:YOSHI88:20200716155022j:plain 小部屋。 

f:id:YOSHI88:20200716155141j:plainキッチン?

f:id:YOSHI88:20200716154631j:plain地下教会。

f:id:YOSHI88:20200716154720j:plain垂直に突き抜けた換気孔。

f:id:YOSHI88:20200716154851j:plain階段は、一人かがんでやっと通れる高さ。

f:id:YOSHI88:20200716160042j:plainワイン貯蔵庫?

f:id:YOSHI88:20200716160125j:plain食料庫?

f:id:YOSHI88:20200716160206j:plain地下都市へと繋がる、何の変哲もない地上の入口。この下に地下都市が有るとは想像できない。

宇宙人と地下世界

宇宙人と地下世界

  • メディア: Prime Video
 

 ユルギャップ

カッパドキア第2の街。f:id:YOSHI88:20200714175421j:plainカッパドキア地方の住宅。

f:id:YOSHI88:20200714175524j:plain昼食時のレストラン。周りの景色に溶け込んでいる。

f:id:YOSHI88:20200714175545j:plainf:id:YOSHI88:20200714163058j:plain この「三人姉妹の岩」が撮影スポット。

ギョレメ

 周辺に大小様々なキノコ岩が林立し、カッパドキアらしい雰囲気が味わえる。f:id:YOSHI88:20200714172755j:plain

f:id:YOSHI88:20200714173835j:plain岩窟教会群。

f:id:YOSHI88:20200714172812j:plain聖バジル教会(野外博物館内)。まるで宇宙人の棲家のよう。

f:id:YOSHI88:20200714174123j:plain暗闇の教会(野外博物館内)。

f:id:YOSHI88:20200714174157j:plain 教会内のフレスコ画

f:id:YOSHI88:20200716234047j:plain女子修道院(野外博物館内)。6階建1階に食堂と台所があり、2階は礼拝所になっている。

パシャバア

f:id:YOSHI88:20200714163452j:plainキノコ岩が整然と並んでいる。

f:id:YOSHI88:20200714163532j:plainこのシメジみたいな3本のキノコ岩が有名。

f:id:YOSHI88:20200715130024j:plain

途中、カーペット販売所に立ち寄らされる(笑)。f:id:YOSHI88:20200718102530j:plainf:id:YOSHI88:20200718102558j:plain自分は買わなかったが、数万円はするカーペットが飛ぶように(笑)売れていた。

 ギョレメ・パノラマ

白い滑らかな岩肌が一面に広がった絶景。

f:id:YOSHI88:20200717145745j:plainf:id:YOSHI88:20200717145830j:plainf:id:YOSHI88:20200717145939j:plainf:id:YOSHI88:20200717150010j:plain

ウチヒサール

ウチヒサールとは、「尖った要塞」という意味。カッパドキア一帯で最も高い位置にある。f:id:YOSHI88:20200717150120j:plain巨大な一枚岩の要塞。

f:id:YOSHI88:20200717150157j:plain岩の表面にある複数の穴は鳩の巣とされ、鳩の糞を集めてブドウ畑の肥料として役立てていたようだ。

 

f:id:YOSHI88:20200717013625j:plain宿泊ホテル・メレンディス。観光地のせいか、今まで宿泊したホテルの中では一番で、シックな感じの洒落たホテル。

翌日は、 大塩湖ドゥズ湖経由して、首都アンカラへ(続く)。