sarorunの気ままなぶらり旅

旅先での自然、遺跡、グルメについて気ままに呟きます

自然と歴史が織りなす黄金の理想郷・佐渡の旅(4)

古事記」のイザナギ(夫)・イザナミ(妻)の国生み神話では、7番目に生んだ島とされ、江戸時代には金山の島として栄えた日本最大の離島、佐渡。島内各地には、自然豊かな景勝地や歴史的スポットなど多彩な魅力が詰まっており、自然と歴史が織りなす温暖な理想郷!そんな佐渡を2泊3日のツアーで楽しんできました。

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第4回目は、②小木のたらい舟乗船と高速モーターボートによる青の洞窟「琴浦洞窟」等の観光です。

f:id:YOSHI88:20220121165531j:plain小木港近くにある「小木家」で昼食後は、バスで「たらい舟のりば」に移動。

たらい舟

f:id:YOSHI88:20220118142024j:plain乗り場では、最初に「モーターボート」に乗るグループと「たらい舟」に乗るグループとに分かれる。自分達は、最初にたらい舟に乗るグループ。

f:id:YOSHI88:20220118142138j:plainたらい舟のりばに行くと、既に沢山のたらい舟がロープ1本で風船のようにゆらゆらと桟橋の端につながれている。

f:id:YOSHI88:20220118142205j:plain元々は、磯ねぎ漁をするために作られたたらい舟。狭く入りくんだ岩礁が多い小木海岸で、ワカメやアワビ、サザエなどをとるために考案されたもので、洗濯桶から改良に改良を重ね、現在のたらい舟になったと言われている。

f:id:YOSHI88:20220118142309j:plain2〜3人毎にたらい舟に乗船して順次出発。乗船人員は通常3名までだが、スレンダーな人や子供なら4人乗っても大丈夫。何しろ女船頭さんによる実験では11人が乗って沈まなかったらしいので、最大記載量は約500kg。150kgの力士でも3人程度ならOKか?ただし、たらい舟からはみ出して落ちそうだが(笑)

f:id:YOSHI88:20220118142946j:plainたらい舟は、縦180cm、横140cm、深さ55cmで楕円形をしており、実際に漁で使うものよりも一回り大きい。樹齢約60年の杉から作られ、長さ10m以上の真竹で縛られている。恐る恐る乗ってみると、意外にも安定しており、海の上にいる気がしない。

f:id:YOSHI88:20220118142501j:plain佐渡おけさで知られるすげ笠をかぶり、昔ながらのかすりの上着を着た女船頭さんがたらい舟を巧みに操り、熟練の技術でスイスイ漕いで行く。

f:id:YOSHI88:20220119100620j:plain赤い屋根の「マリンターミナルビル」をバックに記念撮影。撮影時は、船頭さんに自分の携帯を渡すと、隣のたらい舟の船頭さんに素早く携帯を手渡して隣の舟からの撮影。船頭さん同士の手馴れた連携振りに思わずに感心する。

f:id:YOSHI88:20220118142814j:plainたらい船体験は15分ほどで終了。昨日の天気予報では雨の予報で傘を差しながらの乗船かと思っていたが、予報が外れて天気にも恵まれた。実は今日は自分の誕生日。誕生日プレゼントなのかもしれない。

f:id:YOSHI88:20220118141907j:plain下船後は、先程の記念撮影で撮った海の駅マリンターミナルビルで暫し休憩。

f:id:YOSHI88:20220118143631j:plainサービスのサザエのつぼ焼きを摘みながら、「モーターボート」に乗船したグループが戻ってくるまで待つ。

f:id:YOSHI88:20220121165723j:plain次に、高速モーターボートによる小木海岸の「虫谷の入江」と「琴浦洞窟」の観光のため、再度「たらい舟のりば」に向かう。

f:id:YOSHI88:20220119103639j:plainたらい舟のり場の左側に停まっている、ツアー貸切の高速モーターボート「ニューはまゆう」に乗船。

f:id:YOSHI88:20220119103845j:plainこの「ニューはまゆう」でオーシャンブルーの海の上を風のように走り抜ける。

f:id:YOSHI88:20220118145119j:plain舟の後ろに出来る白い波しぶきが爽快!今度は、たらい舟とは真逆のスピード感が味わえる。

f:id:YOSHI88:20220119105512j:plain小木海岸では、いたるところに澗(ま)と呼ばれる大小数十の海食洞や波食痕、風食痕が見られる。

奇岩「左八文字」(虫谷の入江)

f:id:YOSHI88:20220118144025j:plain「虫谷の入江」の入り口近くにある奇岩。岩壁に海蝕によってできたとされる大小2つのくほみがあり、眺める角度によって漢数字の「八」のようにも見える。

f:id:YOSHI88:20220119105432j:plainただし、通常「八」の字は右側を長く書くが、このくぼみは反対の左側が大きく長いので「左八文字」と呼ばれる。弘法大師の筆跡とも伝えられている。

f:id:YOSHI88:20220118144226j:plain海底が見えるほど透き通っている。

f:id:YOSHI88:20220119105242j:plain「虫谷の入江」の奥で方向転換。

f:id:YOSHI88:20220119104551j:plain「虫谷の入江」の入り組んだ中まで入って来ている。

琴浦洞窟(竜王洞)

f:id:YOSHI88:20220122234825j:plain佐渡最南端にある琴浦の洞窟群の中でもこの竜王洞は「青の洞窟」と呼ばれ、奥行45m、幅22m、高さ7.5mのドーム型で、佐渡最大の海底溶岩の侵食によりできた溶岩洞窟。

f:id:YOSHI88:20220119110807j:plain海面は綺麗なエメラルドグリーン。

f:id:YOSHI88:20220122164022j:plain海底が見えそうな程に透明度が高い。

f:id:YOSHI88:20220122163141j:plain神秘的な空間の中、別世界に入り込んだような気分になる。

次回は、真野地区にある「尾畑酒造」で日本酒の試飲をした後に、大佐渡温泉「ホテル大佐渡」へと向かいます(続く)。

自然と歴史が織りなす黄金の理想郷・佐渡の旅(3)

古事記」のイザナギ(夫)・イザナミ(妻)の国生み神話では、7番目に生んだ島とされ、江戸時代には金山の島として栄えた日本最大の離島、佐渡。島内各地には、自然豊かな景勝地や歴史的スポットなど多彩な魅力が詰まっており、自然と歴史が織りなす温暖な理想郷!そんな佐渡を2泊3日のツアーで楽しんできました。

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第3回目は、江戸時代に北前船の寄港地として発展し、船大工によって作られた当時の面影を色濃く残す②「宿根木」集落の観光です。

①「大野亀」散策後は、約2時間かけて、佐渡の最北端から最南端へ移動。

f:id:YOSHI88:20220111101443j:plain途中、佐渡の玄関口「両津港」ターミナルビルでトイレ休憩。

人面岩

f:id:YOSHI88:20220111102309j:plain真野から小木へと向かう「越の長浜」で、車窓から「人面岩」を一瞬観察。高さ10mほどの奇岩。確かに、人の横顔に見える。

椿尾弁天岩

f:id:YOSHI88:20220111102437j:plain小木近くの椿尾で、ひと際異彩を放つ奇岩に遭遇。この岩の姿は、弁天様が琵琶を抱え弾奏し、その傍らに蛇が待っているように見えると伝えられている。岩の中ほどには鳥居と祠があり、祠には弁財天が祀られている。

宿根木

f:id:YOSHI88:20220111110824j:plainf:id:YOSHI88:20220111121516j:plain宿根木は、佐渡島の最南端の海岸の入り江にある小さな集落。

f:id:YOSHI88:20220111121553j:plain佐渡金山繁栄期の江戸寛文期(1661~1678年)に廻船業の集落として栄えた。船大工の技術が結集した町並みや建造物が当時のまま保存され、国の「重要伝統的建造物群保存地区」に認定されている。

よしかわ屋

f:id:YOSHI88:20220113110738j:plain集落の入り口手前にある食事処「よしかわ屋」。屋根は、瓦が入ってくるまで主流だった「石置木羽葺屋根」(薄割りにした木の板を何枚も重ねた「木羽葺き」の上に石を置いた屋根)が復元されている。

竹の風垣

f:id:YOSHI88:20220111121815j:plain海側から宿根木集落への入り口には、海風から集落を守る竹でできた風垣が設けられている。

世捨小路(よすてこうじ)

f:id:YOSHI88:20220112210001j:plain入り口から続く集落で一番古い「石畳」の道。世捨小路という奇妙な名前の由来は不明。村の奥にある神社、お寺へ向かう人々も必ずこの世捨小路を通る、言わば集落のメインストリート。

地理学者「柴田収蔵」の生家

f:id:YOSHI88:20220111122211j:plain柴田収蔵は、蘭学のほか、医学、天文地理学を極め、鎖国政策下において、世界に目を向け数多くの地図を残した人物。

f:id:YOSHI88:20220113225631j:plain迷路のような石畳の路地に、今も100棟を超える板壁の民家が密集している。船大工の技術が結集した宿根木の町並みには歴史の重みと人々の日々の暮らしとが交錯する静かな時間が流れている。

船主の豪邸「清九郎」

f:id:YOSHI88:20220111122137j:plain江戸時代後期から明治にかけて廻船2隻を所有し、財をなした廻船主の元邸宅「清九郎」。建築材料、技術とも当時の宿根木集落内の最高水準を誇る建物。

旧郵便局舎

f:id:YOSHI88:20220114110432j:plainf:id:YOSHI88:20220114000614j:plain1921年(大正10年)に電信・電話の開始を記念し建てられた。緑色の外観がひときわ鮮やか。宿根木では珍しい洋風建築だが、不思議と周囲の建物と調和して溶け込んでいる。

あなぐち亭

f:id:YOSHI88:20220114110900j:plain廻船主佐藤伊左衛門家の屋敷。

f:id:YOSHI88:20220112210652j:plain越前三国港付近から千石戦で運ばれた笏谷石(しゃくたにいし)の敷石や広い庭が見られる。

称光寺川

f:id:YOSHI88:20220111122807j:plain集落の中には清澄な小川が流れている。かつては、洗濯をしたり野菜を洗ったりした洗い場だったようだ。

宿根木公会堂

f:id:YOSHI88:20220111122912j:plain芝居小屋形式(花道、2階観覧席、回り舞台の建物)の集合施設。大正期には小学校としても使われた。

白山神社

f:id:YOSHI88:20220111123022j:plainこの鳥居は、宿根木の船主高津勘四郎の寄進によるもので、石工は尾道出身の与三郎、石材の花崗岩尾道産である。宿根木海岸内に点在している白い「舟つなぎ石」(市記念物)も同様の由来がある。

三角家

f:id:YOSHI88:20220111123100j:plain建物の形から「三角家」「舟形の家」などと呼ばれている。狭い路地の形状に合わせ最大限に土地利用を図った知恵と技が見られ、宿根木を象徴する建物のひとつ。

f:id:YOSHI88:20220111123156j:plainJR東日本吉永小百合さんが登場するポスターの撮影場所として有名で、今ではすっかり人気の記念撮影スポット。

伊三郎

f:id:YOSHI88:20220111123530j:plain明治24年(1891年)頃築。特に軒下の「持ち送り」が特徴的。

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「持ち送り」に扇型の飾りを施し、姓の「石」の字を彫り込んだ意匠が洒落ている。

宿根木町並み案内所

f:id:YOSHI88:20220112203558j:plain「大浜」と呼ばれる海寄りの駐車スペースにある「町並み案内所」。公開民家の情報やオススメの観光スポットなどを教えてもらえる。

f:id:YOSHI88:20220111123809j:plainこちらにも、JR東日本吉永小百合さんが登場するポスターが展示されている。

小木家

f:id:YOSHI88:20220112211847j:plain宿根木観光後は、小木港佐渡汽船に隣接する「小木家」で自由昼食。

f:id:YOSHI88:20220112185258j:plainレストラン会場に入ると、

f:id:YOSHI88:20220112185428j:plain指定された座席に、希望の「天然ブリカツ丼」(1320円)が用意されている。少々甘めのタレのかかったブリカツは身も厚くボリュームたっぷり。有名な新潟カツ丼のブリ版といったところか。

f:id:YOSHI88:20220114180957j:plain各自好きなものを頼んで代金を払う自由昼食でも、添乗員さんの好手配により特に待たされる事もなく、スムーズに食事ができた。

昼食後は、小木たらい舟の乗船と、高速モーターボートによる青い洞窟「琴浦洞窟」観光です(続く)。

自然と歴史が織りなす黄金の理想郷・佐渡の旅(2)

古事記」のイザナギ(夫)・イザナミ(妻)の国生み神話では、7番目に生んだ島とされ、江戸時代には金山の島として栄えた日本最大の離島、佐渡。島内各地には、自然豊かな景勝地や歴史的スポットなど多彩な魅力が詰まっており、自然と歴史が織りなす温暖な理想郷!そんな佐渡を2泊3日のツアーで楽しんできました。

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第2回目は、昭和の風情漂う「願」集落、子供の霊を祀る佐渡北端の信仰の地「賽の河原」、標高約167mの一枚岩の絶景が魅力のパワースポット「大野亀」の散策です。

f:id:YOSHI88:20220103095216j:plain[2日目]

朝食後は、SADO二ツ亀ビューホテルから、「願」集落にある石動神社まで専用バスで移動する。

「願」集落

f:id:YOSHI88:20220103100202j:plain5分程で、「願」バス停に到着。

f:id:YOSHI88:20220103100237j:plainバス停横には「石動神社」が集落を見守るように佇んでいる。バスを降り、ここから徒歩で「賽の河原」へと向かいます。

f:id:YOSHI88:20220103101433j:plain昔ながらの風情漂う「願」集落。約20戸、40人程が暮らしているらしい。

f:id:YOSHI88:20220103101957j:plainf:id:YOSHI88:20220103102025j:plain昭和から時間が止まったままのような「消防団」、「公民館」を通過し、

f:id:YOSHI88:20220103101804j:plain船上げ場に遭遇する。この辺りには7人の漁師がおり、春はワカメやアラメ、夏はサザエやモズク、秋から冬にかけてはアワビやギンバソウなど、一年中、漁が行われている。

f:id:YOSHI88:20220103101705j:plain暫く海岸線沿いの舗道を進む。

f:id:YOSHI88:20220104101814j:plain前方には、先程散策した「二ツ亀」が見えてくる。

二ツ亀自然歩道

f:id:YOSHI88:20220104102023j:plainここからは「二ツ亀自然歩道」で、賽の河原まで約800メートル。

f:id:YOSHI88:20220104102337j:plain波しぶきの音と冷たい風を感じながら、足場の悪い自然歩道を進んでいく。

f:id:YOSHI88:20220104102414j:plain振り返ると、「大野亀」とそれに連なる小島群が見える。

f:id:YOSHI88:20220104134728j:plainf:id:YOSHI88:20220104102759j:plain崩れそうで崩れない石組み。人工的に造られたようにも見える。

f:id:YOSHI88:20220104102903j:plainf:id:YOSHI88:20220104103006j:plainf:id:YOSHI88:20220104103246j:plain周囲には、巨石や奇岩がゴロゴロと転がっている。

f:id:YOSHI88:20220104103313j:plain足元と頭上に注意しながら階段を登り、f:id:YOSHI88:20220104103345j:plainf:id:YOSHI88:20220104103421j:plain巨大な洞穴を潜り抜けていく。

賽の河原

f:id:YOSHI88:20220104103822j:plain海蝕洞穴には、無数の石地蔵が静かに並んでいる。

f:id:YOSHI88:20220104104144j:plain「賽の河原」は、冥途との境にあり、幼くしてなくなった子供の霊が集まる場所と言われ、昔から篤く信仰されている。

f:id:YOSHI88:20220104103727j:plainこの賽の河原にまつわる奇怪な伝承がある。「賽の河原にある石一つでも持って帰ると必ず家に不幸なことが起こる」のだという。また「積み石を崩しても、翌日になるとちゃんと元通りになっている」。亡くなった子供の霊が夜中の内に積み直しているのだという。

大野亀

f:id:YOSHI88:20220107125734j:plain「大野亀」は、標高167メートルの巨大な「一枚岩」で、佐渡の外海府海岸のシンボル。

f:id:YOSHI88:20220104104304j:plain大野亀は、黄色が鮮やかなユリ科の「トビシマカンゾウ」の花々の群生地としても名高い景勝地

f:id:YOSHI88:20220106120029j:plain5月下旬~6月上旬頃、この辺りはトビシマカンゾウが一面に広がり、黄色く染まった広い台地を散策できる。なお、大きな大野亀の手前に、小さな鳥居がポツンと佇んでいるのが気になる。

f:id:YOSHI88:20220106124758j:plain圧巻のスケールや自然の豊かさなどから「ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン」で2つ星(★★)を獲得している。ミシュラン・グリーンガイドは、各地の魅力を伝える旅行ガイドで、旅行に関連する9つの評価を基準に、星なしから三つ星までの評価が与えられる。

f:id:YOSHI88:20220106120340j:plainf:id:YOSHI88:20220106120431j:plain丘の上に立つと、広々とした日本海、そして隣に浮かぶ二ツ亀の遠景も楽しめる。

f:id:YOSHI88:20220106120619j:plain二匹の亀がうずくまったように見える二ツ亀は、この角度からは2つの島であることがはっきりと分かる。

f:id:YOSHI88:20220106120657j:plain遊歩道も整備されており、麓から頂上まで約30分で登ることができる。今回は行けなかったが、トビシマカンゾウの見頃な頃にトライしてみたいものだ。

f:id:YOSHI88:20220106120809j:plain丘から降りていくと、遊歩道が鳥居へとつながっている。参道のようにも思えるが、神社らしきものはどこにもない!

f:id:YOSHI88:20220106120910j:plain大野亀は、昔から神が降り立つ場所とされていた。古来、山そのものを御神体として信仰する山岳信仰が有ったが、大野亀もそれ自体崇敬なものとして信仰対象とされていたのかもしれない。

f:id:YOSHI88:20220106120848j:plainただ、鳥居の向きが大野亀の真正面ではなく、ちょっとずれている。大野亀の右側に沈む夕日の方向を向いているのなら、太陽を全知全能の神とする太陽信仰の顕れだろうか?

f:id:YOSHI88:20220106124009j:plain大野亀散策後は、近くにある休憩所「大野亀ロッジ」に入る。

f:id:YOSHI88:20220106124030j:plain初ものの「石もずく」と「ぎんば草」を購入。佐渡産石もずくは、粘りが強くて歯応えがある。ぎんば草は、先端が葉っぱのように平べったく、今朝の朝食の味噌汁に入っていたアカモク(ナガモ)よりも、風味やぬめりがより強い感じ。

この後は、佐渡の最北端から最南端へ約2時間かけて移動。郷愁を誘う「宿根木」集落や青い洞窟「琴浦洞窟」を観光し、小木のたらい舟に乗船します(続く)。

自然と歴史が織りなす黄金の理想郷・佐渡の旅(1)

古事記」のイザナギ(夫)・イザナミ(妻)の国生み神話では、7番目に生んだ島とされ、江戸時代には金山の島として栄えた日本最大の離島、佐渡。島内各地には、自然豊かな景勝地や歴史的スポットなど多彩な魅力が詰まっており、自然と歴史が織りなす温暖な理想郷!そんな佐渡を2泊3日のツアーで楽しんできました。

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第1回目は、「海の飛行機」と呼ばれるジェットフォイルに乗船して、佐渡の最北端①二ツ亀に位置する「SADO二ツ亀ビューホテル」へと向かいます。

[1日目]

f:id:YOSHI88:20211220101225j:plain東京駅11:40発の新幹線とき319号に乗車し、約2時間で新潟駅に到着。ここからタクシに分乗して新潟港へ。

f:id:YOSHI88:20211220102037j:plain新潟港に到着後、佐渡行のジェットフォイル乗り場へと向かう。

f:id:YOSHI88:20211220102930j:plain新潟港15:30発のジェットフォイルに乗船。

f:id:YOSHI88:20211222133811j:plainジェットフォイルは“海の飛行機”と呼ばれ、水中翼を使って船体を海面に浮上させることで時速80キロの超高速で走行可能。飛行機製造で知られる「ボーイング社」が開発した船。

f:id:YOSHI88:20211220103933j:plain飛行機のようにシートベルトを締めて出航。新潟港から佐渡両津港までは、通常のカーフェリーだと2時間半掛かるのが、何と67分!

f:id:YOSHI88:20211220104057j:plain生憎の曇り空だが、雲の隙間から太陽が顔を出してきた。

f:id:YOSHI88:20211220104221j:plainようやく佐渡が見えてくる。f:id:YOSHI88:20211220104603j:plain雲の形が龍のよう?

f:id:YOSHI88:20211220104426j:plain沈みゆく佐渡の夕陽がお出迎え!

f:id:YOSHI88:20211220110628j:plain4時半頃、佐渡両津港に到着。バスで初日の宿「二ツ亀ビューホテル」へ直行する。

SADO二ツ亀ビューホテル

f:id:YOSHI88:20211220110652j:plain二ツ亀ビューホテルは、佐渡最北端に位置し、景勝地「二ツ亀」を眼下に見下ろす全室オーシャンビューが魅力のホテル。カーテンややトリム等、緑を基調とした室内がさり気なくお洒落で、建物の年季を感じさせない。

f:id:YOSHI88:20211220111417j:plain夕食は、板長おまかせ海の幸会席。小鉢「もずく」、タコとホッキのカルパッチョサラダ、お造り「鰤・鯛・帆立・イカ・牡丹海老」、サザエのつぼ焼き、鰤味噌漬け、鰤大根、豆乳蒸し、お寿司「カンパチ・サーモン・蒸し海老」、天ぷら「海老・穴子・茄子・しし唐」と品数、ボリューム共に満点。

f:id:YOSHI88:20211223131802j:plain佐渡の地酒も多数用意されており、逸見酒造純米酒「至」を一合(980円)注文する。柔らかい舌触りに加え、純米酒だけあって米の旨みも堪能できる。ホテルの人の話では、この「至」は東京などにはあまり出回らず、貴重な酒だと説明してくれた。

f:id:YOSHI88:20211220123949j:plain佐渡コシヒカリ、わかめと葱の味噌汁。f:id:YOSHI88:20211220124008j:plainデザートは、おけさ柿シャーベットとケーキ。さらにコーヒーも付いてくる。これだけ戴くと、血糖値の上昇が心配(笑)!

f:id:YOSHI88:20211220112143j:plain夕食後は、ホテルの外に出て佐渡最北端での星空鑑賞。周囲は海で光が少なく、満天の星空が望めたのだが……残念ながら写真ではお伝えできない!

[2日目]

朝起きて、朝食の時間まで「二ツ亀」付近の散策に出掛ける。

f:id:YOSHI88:20211223191450j:plainf:id:YOSHI88:20211223191535j:plainホテルは、山小屋のような造り。

二ツ亀

二ツ亀は、二匹の亀が寄り添うように並んで見える小さな島。

f:id:YOSHI88:20211223192048j:plain「二ツ亀」は、佐渡島の北側の海岸線である「外海府海岸」(そとがいふかいがん)の北端に位置する。「外海府海岸」一帯は海岸段丘が発達しており、奇岩、奇勝が連続している。また、この辺りは、「佐渡弥彦米山国定公園」にも指定されている。

f:id:YOSHI88:20211224142745j:plainホテルを出ると「二ツ亀遊歩道」があり、「二ツ亀」がいきなり目の前に飛び込んでくる!

f:id:YOSHI88:20211224143129j:plain丘の上に建つホテルから海に向かって二ツ亀遊歩道を降りていく。丘の中腹辺りから眺める早朝の景色がとても美しい。

f:id:YOSHI88:20211224142356j:plain二ツ亀の島の近くにも、飛び石のように小島が連なっている。一番右にある島には「ミクリ岩(兜岩)」という名前が付いている。

f:id:YOSHI88:20211224143644j:plain近辺の海水の透明度は佐渡随一を誇り、目の前に広がる二ツ亀海水浴場は「日本の快水浴場100選」に選ばれる程。また左端に見える「大野亀」と共に『ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン』で二つ星として掲載されている。

f:id:YOSHI88:20211224145804j:plain二ツ亀は、「沖の島」と「磯の島」と呼ばれる二つの島からなっている。また、二ツ亀はトンボロ現象といって、潮の満ち引きにより満潮時には島、干潮時には陸繋島となる。

f:id:YOSHI88:20211224145826j:plain二ツ亀の表面を拡大してみると、最近「玄武洞」で見たように、規則正しい割目が柱のようになる「柱状節理」のよう。太古の昔に作られた経緯が同じなのかもしれない。

散策から戻り、朝食。

f:id:YOSHI88:20211221131122j:plain朝食は、佐渡産のコシヒカリに、鮭・海藻を中心とした副菜の和食。佐渡産のコシヒカリは、魚沼産ほど「モッチリ」感は無いものの、粘りもあり、噛んでいて後から甘みが感じられる。朝食の主役はやはり御飯で、多数の副菜は御飯の引き立て役に過ぎない。

f:id:YOSHI88:20211223160305j:plainまた、朝食はアカモクの味噌汁。

アカモクはワカメやめかぶなどと同じ褐藻類の海藻で、佐渡では「長藻(ナガモ)」とも呼ばれている。海藻特有のくさみが少なく、めかぶよりさっぱりとした味で、シャキシャキとした食感と粘りが特徴。

f:id:YOSHI88:20211224112344j:plain朝食後は、「二ツ亀」近くにある「願」集落、賽の河原、標高約167mの一枚岩の絶景が魅力の「大野亀」の散策です(続く)。

海の京都・丹後半島周遊の旅(天橋立・籠神社・伊根の舟屋・立岩・城崎温泉)〜(8:最終回)

今年の初夏、緊急事態宣言が暫く解除された隙を狙って、天橋立のある「海の京都」と呼ばれる丹後半島を周遊する旅を満喫してきました。f:id:YOSHI88:20211004131436j:plain今回(最終回)は、柱状節理が美しい国の天然記念物⑥「玄武洞」、風情のある街並みで「但馬の小京都」と呼ばれる⑦「出石」の観光です。

[3日目]

f:id:YOSHI88:20211202102028j:plain軽めの朝食を済ませ、城崎温泉「東山荘」を普段より遅めに出発。

f:id:YOSHI88:20211202095753j:plain円山川に沿った「円山川リバーサイドライン」(県道3号)をバスで南下し、約15分程で、玄武洞のある「玄武洞公園」に到着。

玄武洞公園

f:id:YOSHI88:20211202102122j:plain玄武洞公園は、毎年13~15万人が訪れる景勝地であり、山陰海岸ユネスコ世界ジオパークの主要な自然遺産でもある。

f:id:YOSHI88:20211202102713j:plainここから、玄武岩の敷き詰められた石畳の階段を上がっていく。

f:id:YOSHI88:20211203093643j:plain階段を登り切ると左側に「玄武洞公園案内所」があり、ジオパークのパネル展示を見学できる無料休憩所になっている。

f:id:YOSHI88:20211202111314j:plain玄武洞公園には、玄武洞・青龍洞・白虎洞・南朱雀洞・北朱雀洞の5洞がある。

f:id:YOSHI88:20211202112348j:plain案内所から更に階段を上がって、正面にある洞が「玄武洞」。

玄武洞

f:id:YOSHI88:20211202112002j:plain玄武洞は、昭和6年(1931年)に国の天然記念物に指定され、周辺地域一帯は、昭和38年(1963年)に「山陰海岸国立公園」となっている。

f:id:YOSHI88:20211202132037j:plain玄武洞玄武岩は、約160万年前の火山噴火によってできたもの。規則正しく造形された玄武岩が創り出す「自然美」に只々圧倒される。

f:id:YOSHI88:20211202131858j:plain玄武洞」の名は、文化4年(1807年)、ここを訪れた儒学者・柴野栗山が中国の妖獣「玄武」の姿に見えたことから名けられた。さらに、明治17年(1884年)、東京大学の地質学者・小藤文次郎が玄武洞の名に因んで岩石を「玄武岩」と命名した。

f:id:YOSHI88:20211202131435j:plain玄武洞の景観の最大の特徴が「柱状節理」。岩石に見られる規則正しい割目を「節理」といい、それが柱のようになったものが「柱状節理」。この柱状節理は、火山活動で生じた熱い溶岩が冷えて収縮していく際に生じた割目が内部に伸びて形成されたもの。

f:id:YOSHI88:20211202131946j:plain「柱状節理」によって、洞窟内では亀甲状の天井や5~8角の石柱が多数みられる。規則正しい割目のある玄武岩は石材に適しているため、「玄武洞」は、かつては採石場だった。つまり、採掘跡が洞窟として残ったもので、洞穴自体は自然に出来たものではない。

f:id:YOSHI88:20211126163348j:plainここで切り出された玄武岩は、円山川から舟で運ばれ、城崎温泉街を流れる大谿川の護岸や豊岡の石積みなどで見ることができる。

玄武洞で世界的な大発見!

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地球上にある玄武岩は、「磁鉄鉱」という鉱物が多く含まれている火山岩の一つで、磁石を近づけると引き寄せられる。

f:id:YOSHI88:20211203103414j:plain玄武洞玄武岩は、他の玄武岩とは異なり、コンパスのN極の針が南を示す性質が発見され、この地の玄武岩が出来た時「地磁気の逆転現象」があったことが分かった(→南)。

f:id:YOSHI88:20211203103512j:plain地磁気の逆転現象」は、1926年(大正15年)に京都帝国大学の松山基範博士により世界で初めて提唱され、後に「プレートテクトニクス理論」の成立につながっていく。

f:id:YOSHI88:20211202142948j:plain玄武洞の洞窟から振り返ると、円山川の先には、山陰鉄道を走る列車が見える。空には、多数の「龍神様」?!

散策道

f:id:YOSHI88:20211202133457j:plain玄武洞公園内の各洞窟を結ぶように散策道が整備されている。

f:id:YOSHI88:20211202143345j:plain散策道には多角形状の玄武岩が散乱しており、近くでその断面を観察することができる。

青龍洞

f:id:YOSHI88:20211202134740j:plain玄武洞から散策道を南に沿って2分~3分歩いたところに、国の天然記念物に指定されている「青龍洞」があり、美しい流線型の柱状節理を見せてくれている。

f:id:YOSHI88:20211202134346j:plain青龍洞は、高さ33メートル、幅40メートル、最も長い節理は15メートルもあり、圧巻の迫力。

f:id:YOSHI88:20211202134626j:plainf:id:YOSHI88:20211202134257j:plain柱状節理の模様が透明な水面に写し出されている。

f:id:YOSHI88:20211202133829j:plainf:id:YOSHI88:20211202134217j:plain水面に写る柱状節理の模様が “龍が天に上る姿に似ている”ことから「青龍洞」と名付られたと伝えられている。

玄武洞ミュージアム

f:id:YOSHI88:20211202201722j:plain隣接する「玄武洞ミュージアム」では、かつてこの地域に住んでいたゾウの実物大の全身骨格標本レプリカの迫力のある展示や、生命の歴史が分かる恐竜・ティラノサウルスなどの化石が集められた展示などがあり、見所満載。

この後、ツアー最後の観光地「出石」へと向かう。

f:id:YOSHI88:20211203193119j:plain

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途中で、国の特別天然記念物コウノトリ」を発見!

f:id:YOSHI88:20211203195446j:plain30分程で、パーキングのある「いずし堂本店」前に到着。ここでバスから降り、出石の街の散策へ。

出石

f:id:YOSHI88:20211203200904j:plain“但馬の小京都”と呼ばれる城下町・出石(いずし)。「古事記」「日本書紀」にも名前の見られる歴史の古い町で、室町時代には山名氏が本拠を構えて5万8000石の城下町として栄えた。「出石城跡」のほか、「宗鏡寺」、「家老屋敷」、「辰鼓楼」など見所も多い。名物「出石皿そば」の名店も立ち並ぶ。

出石城

f:id:YOSHI88:20211203192430j:plain出石城は、慶長9年(1604年)、小出吉英によって有子山の麓に築かれた。小出氏、松平氏、仙石氏と城主を代えながら、明治の版籍奉還まで270年間にわたって、五万八千石の本城として威容を誇った。

f:id:YOSHI88:20211204104241j:plain明治時代になり、廃城令で出石城も取り壊されたが、辰鼓櫓、堀、石垣などが現存、また隅櫓、登城門・登城橋などが復元され、堀の周囲一帯は「登城橋河川公園」として整備されて、観光地となっている。

辰鼓楼


f:id:YOSHI88:20211203192511j:plain廃城となった出石城三の丸大手門石垣を利用して、明治4年(1871年)に建設された。「辰」は時間、「鼓楼」は太鼓を叩くやぐらを意味する。高さ約13メートル、内部は4階建の構造。当初は最上階から太鼓を鳴らして時刻を知らせていた。現在は日本最古の時計台として親しまれている。f:id:YOSHI88:20211203192543j:plain風情のある出石の街並み。

手打ち皿そば 官兵衛

f:id:YOSHI88:20211204154426j:plain出石での自由昼食は、やはり蕎麦屋に限る。色々あって迷ったが、バスガイドさんのお勧めの「官兵衛」に入ることに。この店ではそば本来の旨みを引き出すため、すべて国内産の玄そばを使用し、自家製粉と手打ちにこだわっている。

f:id:YOSHI88:20211203192702j:plain出石に受け継がれている伝統の「皿そば」(一人前5皿)の他に、数量限定そば粉100%の「雪室熟成十割そば」があったので、そちらを注文。暫くして、挽きたての十割そばと、地元産の赤玉子や長野産の生山葵が出てくる。

f:id:YOSHI88:20211204160829j:plain

さらに、地元豊岡市竹野産の塩も付いている。こだわりのそばだからこそ、だしを付けずに、塩だけでシンプルに味わう。誤魔化しの無いそば本来の旨みと力強さをしっかりと堪能する。

和風喫茶霜月

f:id:YOSHI88:20211203221411j:plain目抜き通りにある、城下町に溶け込んだレトロな和風喫茶店

f:id:YOSHI88:20211203221656j:plain店舗は、全但バスの車庫を蔵風に改装したレトロな雰囲気。テーブルには江戸時代に使われていた長火鉢を利用。

f:id:YOSHI88:20211203192742j:plain品の良さそうな年配の女性店主が、バスの集合時間を気にしながらも、濃厚で味わい深いコーヒーを入れてくれた。

帰路は、福知山ICから米原ICまで約4時間の長時間バス移動。さらに、米原駅17:33発の新幹線こだま744号で3時間以上乗車し、東京駅に20:48着。7時間以上の長旅でヘトヘトになるかと思っていたが、帰りの新幹線はグリーン車だったので、あまり疲れを感じなかった。やはり、グリーン車と普通車の違いは大きいと実感。

(終わりに)

ツアーに参加する前は、「天橋立」も良いだろうと言う程度で、丹後半島に関する予備知識は殆ど無かった。本ブログを書くにあたって、ツアーで闇雲に(?)撮った膨大な写真を整理しつつ、ネット等でツアーで訪れた観光地の情報を調べていると、観光地に関する理解も深まるとともに、ワンショットの写真の風景と次に撮った写真の風景同士が繋がって、ツアーを再体験している感じになり、とても楽しかった。このブログを読んで下さった方もツアーを体験しているような感覚になって貰えたら嬉しい。

なお、今度は個人旅行で、天橋立ウオーキングにもチャレンジしてみたいし、近くにある日本最古のパワースポット「眞名井神社」にも行ってみたい。また、城崎温泉では、7つある外湯の場所は全部確認したものの、「御所の湯」の一湯しか立ち寄れなかったので、今度は、開湯伝説など歴史を感じさせる「鴻の湯」や「まんだら湯」にも立ち寄りたいものだ。

海の京都・丹後半島周遊の旅(天橋立・籠神社・伊根の舟屋・立岩・城崎温泉)〜(7)

今年の初夏、緊急事態宣言が暫く解除された隙を狙って、天橋立のある「海の京都」と呼ばれる丹後半島を周遊する旅を満喫してきました。

f:id:YOSHI88:20211004131436j:plain今回は、文豪・志賀直哉をはじめ多くの文人に愛され、独特の温泉情緒溢れる⑤「城崎温泉」の散策と外湯めぐりです。

琴引浜からバス乗車1時間程で、夕刻時の城崎温泉「東山荘」に到着。夕食まで少し時間があるので、早速、温泉街へと繰り出す。

城崎温泉

f:id:YOSHI88:20211125100032j:plain城崎温泉(きのさきおんせん)は、兵庫県北部の豊岡市城崎町に位置し、開湯1,300年の歴史を持ち、有馬温泉湯村温泉とともに兵庫県を代表する温泉。

f:id:YOSHI88:20211126161651j:plain平安時代から歌に詠まれ、文豪・志賀直哉をはじめ多くの文人に愛された「歴史と文学といで湯の街」。

f:id:YOSHI88:20211125095836j:plain宿泊先の「東山荘」の前を流れる大谿川(おおたにがわ)に沿って、しだれ柳が続く。

f:id:YOSHI88:20211126163348j:plain温泉旅館、大谿川、しだれ柳、石造りの太鼓橋が独特の温泉情緒を醸し出している。

f:id:YOSHI88:20211125152653j:plain城崎温泉には『まち全体が⼀つの⼤きな宿』という考え方が根付いている。言わば「駅は⽞関」その先の「道は廊下」「宿は客室」「⼟産屋は売店」「飲食店は食堂」そして「外湯は⼤浴場」。

f:id:YOSHI88:20211125152924j:plainこれは、自分のお店や旅館に来られたお客様だけでなく、すべてのお客様をまち全体で大切にお迎えしよう、という想い。長年の間、助け合いの精神が息づいているのが城崎温泉街の人々の優しさ・魅力となっているのだろう。

7つの外湯めぐり

f:id:YOSHI88:20211125130811j:plain城崎温泉には、地蔵湯、柳湯、一の湯、御所の湯、鴻の湯、まんだら湯、さとの湯の7つの外湯があり、これらは徒歩20分圏内にあり、歩いてはしごできる距離。外湯の名は、それぞれの由来と歴史に基づいて付けられている。

地蔵湯

f:id:YOSHI88:20211125132937j:plain宿から一番近い外湯が「地蔵湯」。

f:id:YOSHI88:20211125133008j:plain江戸時代、多数の村民が入浴していたことから“里人の外湯”と呼ばれていた。伝説では、この湯の泉源から地蔵尊が出たそうで、ここから、「地蔵湯」という名前が付けられた。

柳湯

f:id:YOSHI88:20211124095900j:plain中国の名勝・西湖から移植した柳の木の下から湧き出たことから「柳湯」と名付けられた。大正ロマン漂う木造の浴場として平成16年2月にリニューアルオープン。

一の湯

f:id:YOSHI88:20211126105126j:plain温泉街中央の「王橋」のたもとにあり、一見歌舞伎座を思わせる桃山風の建物。平成11年11月に改築され、新たに洞窟風呂が加わった。

f:id:YOSHI88:20211126104819j:plain「一の湯」の名前は、江戸中期の温泉学者・香川修徳が当時新湯といったこの湯を「天下一の湯」と推奨したことに由来する。

御所の湯

f:id:YOSHI88:20211126110319j:plain南北朝時代の歴史物語「増鏡」に、文永四年(1267年)に後堀河天皇の御姉安嘉門院が入湯された記事があることから、「御所の湯」と名付けられた。

f:id:YOSHI88:20211126110216j:plain京都御所を彷彿とさせる現在の建物は平成17年7月に「四所神社」横に新築移転された。大浴場のガラス貼り天井や「天空風呂」から見える山や滝の風景が魅力。

四所神社

f:id:YOSHI88:20211126110524j:plain湯山主神(ゆやまぬしのかみ)を主祭神に、多岐里比売神(たきりひめのかみ)、田記津比売神(たきつひめのかみ)、市杵比売神(いちきひめのかみ)の宗像三女神を配し合わせて、四所四神を祀る。いずれも温泉の守護神として崇められ、また宗像三女神は水の守護神でもある。

鴻の湯

f:id:YOSHI88:20211126122948j:plain7湯中最古の湯で、1,400年前の舒明天皇の時代に、コウノトリが足の傷を癒しているのを発見したという開湯伝説がある。山家風の建物で、道の奥に引っ込んでひっそり建っている。庭園露天風呂もある。

f:id:YOSHI88:20211126123042j:plain鴻の湯の伝説

『今から約1400年前、舒明天皇(629年~)の時代、大谿川上流の大きな松の木の上にコウノトリが巣をつくっていました。コウノトリたちのうち足を痛めた1羽が田に降り立って水に足を浸していましたが、数日後には元気よく飛び立って行きました。これを見た里人がコウノトリの飛び立った場所を調べてみると、湯が湧いていました。このお湯が城崎温泉の始まりだといいます。』

f:id:YOSHI88:20211126123013j:plainコウノトリの足を癒やした「鴻の湯」は、不老長寿の湯・幸せを招く湯として多くの人々に親しまれている。また、「鴻の湯」は2羽のコウノトリ夫婦が足の傷を癒した湯だという説もあり、夫婦円満のご利益があるとも言われている。

f:id:YOSHI88:20211126123136j:plain鴻の湯の敷地内にある「鴻の湯神社」は、薬師如来が祀られていた元薬師「円満寺」の跡。

まんだら湯

f:id:YOSHI88:20211126164455j:plain温泉寺開祖の道智上人が「曼荼羅行」で湧出させた湯が源泉だったと伝えられている。その仏縁から「まんだら湯」と名付けられ、建物の頭部に丸みを付けて造形した唐破風(からはふう)様式が特徴的。

f:id:YOSHI88:20211126164538j:plain「まんだら湯」では、裏山の自然美あふれる景色を檜造りの露天風呂から眺めることができる。

さとの湯

f:id:YOSHI88:20211128103356j:plain「さとの湯」は平成12年7月に「城崎温泉駅」のすぐ横にオープンした、外湯の中では一番新しい温泉。

f:id:YOSHI88:20211124100833j:plain三階の天望露天風呂からは円山川が一望でき、二階には和・洋風の大浴場のほか泡風呂・各種サウナがあり、いろいろな入浴が楽しめる。

東山荘

f:id:YOSHI88:20211125102835j:plain「東山荘」に戻ってくると、そろそろ夕食の時間。

f:id:YOSHI88:20211126175452j:plain夕食はカニづくしの和定食。城崎は日本海に近いことから、新鮮な魚介類が揃う「海の幸の宝庫」でもあり、城崎といえばまずはカニ。一般には「ずわいガニ」と呼ばれるカニは、山陰では「松葉ガニ」と呼ばれている。兵庫の地酒「香住鶴」と共に、茹で・焼き・鍋などいろいろな楽しみ方で食する。

翌日[3日目]は、兵庫県豊岡市にある柱状節理が美しい国の天然記念物「玄武洞」と、但馬の小京都と呼ばれる「出石」の観光です(続く)。

海の京都・丹後半島周遊の旅(天橋立・籠神社・伊根の舟屋・立岩・城崎温泉)〜(6)

今年の初夏、緊急事態宣言が暫く解除された隙を狙って、「海の京都」と呼ばれる丹後半島を周遊する旅を満喫してきました。

f:id:YOSHI88:20211004131436j:plainこの「丹後半島周遊の旅」ブログも今回で6回目となり、国内旅行としては最長更新。当初の予定では4〜5回程で終わる予定だったが、写真が多過ぎてなかなか進まない(笑)。

今回は、高さが20mもある巨大な一枚岩③「立岩」、鳴砂の浜として有名な④「琴引浜」の順に丹後半島を廻り、開湯1300年の⑤「城崎温泉」へと向かいます。

屏風岩

f:id:YOSHI88:20211116182327j:plain伊根の舟屋から立岩に向かう途中、車窓から「屏風岩」が見える。北西に岩が5つほど海に浮かび、それらが一直線に連なっている。手前の岩は高さ約13mの安山岩で、海面からそそり立つ様子が屏風を立てたように見えることから「屏風岩」と呼ばれている。

立岩

f:id:YOSHI88:20211117101909j:plain屏風岩から5分程で、立岩近くの「道の駅てんきてんき丹後」に到着。

f:id:YOSHI88:20211117145433j:plain近隣の位置関係。立岩へは道の駅から竹野川に沿って徒歩7〜8分程。立岩は、日本海へ注ぎ込む竹野川の河口をせき止めるように立っている。これは単なる偶然なのだろうか?

f:id:YOSHI88:20211117150059j:plain小雨の降る中、泥濘んだ道を竹野川に沿って歩いていく。

竹野川

f:id:YOSHI88:20211117154002j:plain全長27.6kmで、丹後半島最長・最大の河川。竹野川の流域には遺跡が散在しており、丹後半島地域の文化発祥の地とされる。また、支流鱒留川の源流がある磯砂山には羽衣天女が舞い降りたという日本最古の「羽衣伝説」がある。

f:id:YOSHI88:20211117163015j:plain竹野川に架かる木製の「てんきてんき橋」を渡って、

f:id:YOSHI88:20211117163055j:plain橋を降りると、立岩は目の前。

立岩

f:id:YOSHI88:20211117170308j:plain「立岩」は、間人ガニで有名な京丹後市間人(たいざ)の後ヶ浜に威風堂々とそびえ立つ、高さが20mもある巨大な一枚岩。

f:id:YOSHI88:20211117165823j:plain立岩へは陸側から砂州が伸びて繋がっている。黒い立岩と白い砂洲とのコントラストが美しい。

f:id:YOSHI88:20211117170541j:plain柱状節理の玄武岩で、直線的な荒々しい岩肌が印象的。およそ1500万年前に地下からマグマが上昇して固まり、さらに周囲が波に侵食されることにより、海に浮かぶ幻想的な岩が出来上がったとされているが、これが本当なら火山活動が生んだ奇跡とも言える。

f:id:YOSHI88:20211117170611j:plain「立岩」には、以下のような「鬼退治伝説」が残っている。

聖徳太子の生母であり、第31代・用明天皇の間人(はしうど)皇后の第三皇子麿呂子親王(聖徳太子の異母弟)が鰾古・軽足・土車という3匹の鬼を退治した際、二匹は殺し土車だけはみせしめのため、この大岩に封じ込めた。』

今でも強風、波の高い夜などは、鬼の泣声が聞こえるといわれている。

山陰海岸ジオパーク

f:id:YOSHI88:20211119144756j:plain山陰海岸ジオパーク」は、京都府京丹後市)、兵庫県豊岡市等)、鳥取県(岩美町・鳥取市)の日本海に面する6つの市町から構成され、その地形や地質の貴重さからユネスコ世界ジオパークに認定されている。「立岩」は、この「山陰海岸ジオパーク」の一つとして指定を受けた、京丹後市を代表する観光スポット。

f:id:YOSHI88:20211118162002j:plain透明度の高い海水に、砂州と緑地が重なった美しい景観は、優れた名勝地と呼ぶに相応しい。

人皇后・聖徳太子母子像

f:id:YOSHI88:20211118162030j:plain畔には「間人皇后・聖徳太子母子像」が、間人(たいざ)の海を見守るように優しく佇んでいる。この地方には、間人皇后の伝承が残っている。

『後の聖徳太子の母・穴穂部間人皇后が、蘇我物部氏間の戦乱からこの地に身を隠し、戦乱が収まった後、都へ帰る時に村人へ感謝の念を込め自らの名「間人」を村名に贈った。村人は皇后の名をそのまま地名にするのはおそれ多いとして、皇后の御退座にちなみ、「間人」と書いて「たいざ」と読むようになった。』

琴引浜

f:id:YOSHI88:20211119102913j:plain立岩から20分程海岸線を走ると「鳴砂の浜」として有名な琴引浜。

f:id:YOSHI88:20211119103042j:plain「琴引浜」は、京都府京丹後市網野町掛津地区および遊地区にまたがる全長1.8kmにわたる砂浜で、古くは琴曳浜、琴弾浜とも表記する。

f:id:YOSHI88:20211119103520j:plain琴引浜は、日本の白砂青松100選(1987年)、日本の渚百選(1996年)、残したい日本の音風景100選(1996年)に選ばれている。

f:id:YOSHI88:20211119103753j:plain砂の乾燥した時期に砂浜を「すり足」で歩くと、砂に含まれる石英の摩擦で「キュッキュッ」と鳴いた音がする。

f:id:YOSHI88:20211119103648j:plain琴引浜は、水の透明度も抜群。1997年1月、ロシア船籍タンカーから流出した大量の重油により一時は壊滅状態となったが、全国からのボランティアの方々や地域の方のご協力により、元の美しい浜に蘇ったとの事。今もなおこの美しさが保たれていることに感謝。

f:id:YOSHI88:20211119104039j:plain近くにある建物では、「鳴き砂」の体験が出来る。

f:id:YOSHI88:20211119151811j:plainすり鉢に鳴き砂の主成分の石英を入れて棒で擦ると確かに「キュッキュッ」と鳴く。だが、少しでも不純物が混ざると、とたんに音が鳴らなくとのこと。鳴き砂の音は、美しい海水と石英の純度が維持された結果であり、地元の方々の不断の努力の賜物だと言える。
この後、1300年前コウノトリが傷を癒したことからその歴史が始まったと言われている「城崎温泉」へと向かいます(続く)。